アニかつ&ガル憎の回胴交換日記

結成から19年を迎えるマッパチのアニマルかつみとガル憎の交換日記!

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ピッチャー交代 from ガル憎

2015/08/20

記事カテゴリ:from ガル憎
タグ: マッパチ 広島 結婚 お好み焼き屋 

 

拝啓、お兄さま。

 

残暑が厳しくならないかもしれない。それは困る。俺は夏が大好きだ。諦めるんじゃないよ夏。もっと来いよ夏。逃げてんじゃねーぞ、ナトゥ。

 

はい。最後だけ長島三奈になってしまいましたが、ニイサンの「東京に骨を埋めるつもり」発言。ちょっとビックリしましたね。

 

ビックリしたというか、改めてそういう話をしたことが意外と無かったから「おお、そうなのか」という意味での驚きというか。実家に弟さんの家族がいるとなると、たしかにそうなるかもしれないですね。俺は長男、実家は空いてる(いまは婆ちゃんだけ)。それを考えると、まあ、普通に広島に帰りますよね。世間一般的というか。

 

基本は「結婚をしたら帰る準備に入る」&「広島で子どもを産む」というスタンスです。ただ、なんの因果かまだ未婚なもので、帰ろうにも帰れない感はありますね。子どもの前に、そもそも嫁がいねーだろと。

 

当初、俺が東京に残っていた理由は違うんです。もちろんこの仕事があって、それでメシを食えてるってのがあるんですが、高校卒業と同時に、広島の(同じ学校や幼な馴染みの)連中が、こぞって東京に出てるんですよね。それぞれに夢を抱いて。中にはスタイリストを目指して、ミスチルのスタイリストをやるまで出世した同級生もいるんです。いるんですが、そいつを含め、俺以外、全員が広島に帰ったんですよ。

 

夢を諦めた者。夢を変えた者。故郷が第一と気づいた者。東京に負けた者。いろんな理由で帰りました。20人~30人くらいいるそんな連中の中で「いまも東京に残っている人間」。これが俺ひとりなんですよね。だから最初は、そのみんなの想いも背負っていこう。お前は東京に負けたかもしれん。お前は夢を諦めたかもしれん。でもお前らの分まで俺が東京で頑張って、広島人であることを誇りに持ちながらアピールし続け、成功してやる。日本の真ん中で、広島人として堂々と生きてやる。そんな使命感があったんです。だって、ここで俺が広島に帰ったら「ゼロ」ですから。俺の世代、俺の仲間。東京に残ってる人間が「ゼロ」になりますから。こんな悔しいことは無いじゃないですか。

 

いまは逆に、そういうのが落ち着いてきたというか、地元に帰るなり、別の場所を選ぶなり、そうして東京を離れたんだけど、成功してる仲間が増えてきたんですよね。かつては「都落ち」だった。でも、いまは違う。年齢もあるでしょう。40歳チョイなんで、最初の失敗から這い上がり、次の人生が軌道に乗り始める時期でもあるんでしょう。だから、いまはそういうのが落ち着いた分、いよいよ「自分はどうなんだ?」と、自らの考えを最重視するようになりましたね。

 

長くなりましたが、結論から言うと俺は広島に帰ります。電撃、なんてことになれば1年後かもしれないし、普通に5年後くらいかもしれないし。広島に帰って「お好み焼き屋」か「焼鳥屋」をやります(前者が濃厚)。カープの試合がテレビ中継で観れて、任せられる店長がいて(すでに候補者あり)、俺はお客さんと飲みながら話す。客と飲む名物店長になろうかと。楽をしたいだけという説もありますが、俺、やっぱ人と話すの好きなんで、若い子の人生相談とか恋愛相談とか、同世代やオッサンとのカープ談義とか、そういうのをしたいんですよね。んで「あそこの社長は飲んでばかりじゃけど話が面白い。そのかわり飲み代は客が出さんといけん」みたいな。広島に新しいスタイルの「憩いの場」を作りたいです。社長がタダ酒の飲める憩いの場を。俺の憩いの場を。

 

というワケで、ニイサンは東京に骨を埋める。俺は広島に帰る。ここまでは分かりました。次はどうしましょう。嫌いなビールについて話しますか。いや、これじゃあふたりとも「モルツ」って答えるからすぐ終わるな。よし、ここは逆に「フリー」でいってみるか。俺の質問にニイサンが答えるんじゃなくて、ニイサンが「なにか書く」。それに対し「俺は」と答える。これで行ってみよう。いつも俺がピッチャーじゃ面白くないもんね!

 

ではニイサン。お好きな球を投じてください。

 

いつか故郷へ帰るか否か from アニかつ

2015/08/17

記事カテゴリ:from アニかつ
タグ: スロ専 店長 尼崎 広島 

 

まいど。アニかつです。

 

先週は、ガル憎くんからの「もしもスロ専の店長になったら?」という問いかけに対し、割と真面目にあれこれ考えてみたんだけど。

 

またしても唐突な話題変換の変化球。

 

ガツンと打ち返しますか。

 

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拝啓 ガル憎くん

 

前回のテーマ、「もしもスロ専の店長だったら」。きみの考えは、おおむね想定どおりだったな。

 

レトロな店の佇まい、パンチの効いた中年店員…たぶん、そうくると思ってた。

 

とにかく、我々がパチやスロを覚えた当時は、どこの店もそんな感じだったね。

 

マニュアルどおりの杓子定規な接客もなく、客が行儀悪いことしたら遠慮無く怒る。へたすりゃ、殴られたりもする。客も怖かったけど、それ以上に店員が怖かった。だから、パチ屋というひとつ屋根の下、社会的秩序が保たれてたと思う。

 

いまは、そういう「怒る大人」がいなくなったからね。これはパチ屋の中だけじゃない。学校や実社会においても、そう。

 

体罰を容認するわけじゃないけど、いまの子供たちは痛みを知らないから、無情なイジメや犯罪が増えたんじゃないかと、自分は思います。

 

…おっと。ちと話が逸れてきたので、新たな質問であるところの「ずっと東京にいますか?」に対する回答に移りましょうかね。

 

自分が東京に拠点を移したのは、いまから24年前の1991年。25歳の時だった。

 

前にも話したとおり、高校を中退し十代半ばから音楽の世界にどっぷり浸っていて、ライヴハウスレベルでは、まぁまぁなところまでいって、一応はメジャーレーベルからもデビューさせてもらった。

 

でも、一向に音楽だけでメシが喰えるまでにはなれず、色々と行き詰まりを感じていたのね。関西での生活に。

 

そんな時、東京の知り合いのバンドから誘われて。「これが最後の賭けや!!」と一念発起して、東京へ移住したの。

 

結局、そのバンドも1年ちょっとで崩壊して、まぁ…夢、破れたというか、なんというか。手首を怪我して楽器を弾けなくなったのもあって、「これが潮時か」と、音楽から足を洗った。

 

在阪時代から生活を共にしてきた彼女にも、逃げられてね。もう、完全に人生の曲がり角に差し掛かっていた感じ。でも、帰ろうという選択肢は、不思議と無かったね。

 

で、今後の人生、どうしようか…と迷っている時、たまたま縁のあったパチスロ必勝ガイドの秋山プロからの誘いで当時の人気企画「13時間デスマッチ」に読者代表として参戦して、その時に書いた実戦記の文章が編集部に認められ、ライターに登用された…と。

 

最初のうちは当然、仕事も少なく、アルバイトとの掛け持ちで生活は苦しかったんだけど、半年もすると月に何十ページも抱えるメインライターのひとりになってた。

 

そこで思ったね。「これは天職だ。東京に骨を埋めるつもりで、頑張ろう」と。

 

いまはインターネットがあるから、我々のような仕事は東京にいなくても成立する。でも、なんやかんやでメディアの発信源は東京にあるわけだから、東京にいる方が都合がいいというか。

 

まぁ、そういった仕事の都合を抜きにしても、尼崎に帰るつもりは、当面ありません。

 

そりゃあ、大好きだよ。我が生まれ育った尼崎という街は。住んでた頃は気づかなかったけどね。離れてみて、客観的にみて、「ああ、こんな素晴らしい街だったのか」と。

 

でも、帰らない。もう両親もいないし、実家はとっくの昔に弟家族に委ねてあるし。家族ではあるけど、もう完全に他人の家な感じだもん。

 

とにかく。一念発起して東京へ移住して生活の基盤も出来上がっちゃったから、当面はそれをリセットする予定はないね。

 

いまの仕事があと何年、続けられるかはわからないけど。先にも言ったとおり、東京に骨を埋めるつもりです。

 

ガル憎くんは、やっぱりいずれは広島へ戻るのかな?

 

もしもガル憎が店長なら? from ガル憎

2015/08/13

記事カテゴリ:from ガル憎
タグ: 交換日記 マッパチ 大漁Ⅱ 昭和 

 

押忍。

ガル憎でする。

 

いやはやビックリしました。

 

ニイサン…ガッツリ考えてるぢゃないですかっ!

 

俺はお題を出しておきながら割とライトに構えておりました。

 

とりあえず返球せねば!

 

────────

拝啓、ニイサン。

 

俺は……とりあえずスロ専にします。

 

んで。

 

まずは佇まい(たたずまい)。

 

これはもうずっと前から決めていることで、床は板張りで店員は白のワイシャツ+ネクタイにパンツ。極端に言えば丸イスでもいいです。

 

それだけだと面白くないから店員は「30才以上」にしましょう。いやいや。この際だから「40才以上」でもいい。

 

さらに…パンチパーマ大歓迎!

 

要するに俺は「昭和の店員スタイル」を復活させたいんです。

 

若くて元気な店員がニコニコ&ペコペコしてるんじゃなくてドンと構えてる。

 

遠慮なく客に注意するしマナーが悪いヤツは怒鳴る。

 

客がビビるような…というか客に「俺らの方が偉いんだぞコラ」と思わせないようにしたいですね。

 

主導権は店員にあり。

 

これだけは譲りたくないです。

 

ただ昨今のパチスロには知識が必要なんで、若い店員(知識がある店員)をひとりシマに置く。

 

ゲーム性の説明的なことはそいつに任せて残りは昭和組の仕事。仕事ができれば高卒どころか中卒でもオッケー(図らずも雇用問題を解消できるパターン)。

 

で。

 

カウンターには事務服を着て愛想が良くてテキパキ動けて客をリードするようなオカン。事務服みたいなのを着せちゃいましょう。

 

店名はズバリ「★★会館」。★には店のある地名などを反映させます。ネオン感も丸出しで夜になるとその光が行ったり来たり。

 

肝心の「設置機種」ですが、これはもう完全に俺の独断。新台入替も滅多にせず、設置機種で「個性」を出す。

 

それこそ大漁2なりニューパルDXなりコクッチーなり、Aタイプを半分くらい置いて(当然ジャグラー含む)みんなに遊んでもらいます。設定4メインで「あとは自分のヒキで」としつつ「それなりに遊べますよ」とか。

 

 

なんていうか、最近のホールって個性ゼロじゃないですか。話題どおりの人気機種を入れ、それが当たれば喜ぶ。コケたら「なんだこの台は」と、すぐ中古市場に出す準備をする。

 

アホかと。

 

競合店と競うかのように新台を入れるんだけど、台の良し悪しは考えてない。地域一番にとか地域最大台数とか、そんなことばかり。

 

ウチの店はすぐに買いませんから。他店舗の状況を見て良し悪しを決めますから。

 

だって1台30万だの40万だのするワケですよ?

 

それを何台も買ってダメなら諦めるとか、馬鹿馬鹿しくてやってられません。

 

とにかく設置機種と設置時期で「個性」を付けます。結局お客さんは「勝ちたい」ワケですから、設定を入れれば古い台でも知らない台でも打ちます。たとえば大漁2が毎日6なら来てくれます(物好き含む)。さらに「大漁2を打つならあの店」となります。

 

そういう店にしたいですね。

 

とにかく他の店がやってることなんてガン無視でありアウトオブ眼中であり知ったこっちゃありません。個性が無い時代に「没個性」に進み続ける全国のホールと違う方向を向きたいですね。

 

だから店員がタバコを吸ってもいいし客を怒鳴ってもいいんです。それが嫌なら他の店に行け。そんな感じで。

 

ニイサンの書いてた「居心地」。言ってしまえばそれです。クセのある店だけどいい。なんか楽しい。特定の野球チームが好きな店員がいたら、そのチームが前日に勝ってれば機嫌がいいし逆なら機嫌が悪い。そんなんでいいんです。人間なんで。

 

……おっと。ほんのりアツくなってしまいました。

 

語り始めたらキリが無いんで次に進みますかね。

 

次の球は……。

 

チョイと深めに攻めてみましょうか。

 

ニイサンはずっと東京にいます?

 

いつかは尼崎に帰るとか考えてます?

 

そのあたり、よろしくです。

 

押忍。

 

もしもアニかつが店長なら? from アニかつ

2015/08/10

記事カテゴリ:from アニかつ
タグ: 交換日記 マッパチ スロ専 店長 

 

まいど!! アニかつでおます。

 

先週から始まった「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」、回顧話からスタートしたんですが、さっそくガル憎が「もしもスロ専の店長だったら?」という変化球を投げてきたので、ガツンを打ち返したいと思います。

 

それでは、スタート!!

 

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拝啓 ガル憎くん

 

スロ専の店長。…というか、オーナー。うむ、これはスロ打ちとしては、ある意味、いつか叶えたい夢だね。

 

そういえば何年か前は、一日店長的なイベントをよくやってたなぁ。シマ図とにらめっこしながら客の動線なんかを考慮しつつ設定配分を考えたり、オススメ台のヒントを凝った文章にしてメール配信したり、朝イチ出目やドル箱の積み方、フダの挿し方なんかで示唆したり。打ち手の心理を解ってるからこそ、こっちも色々と知恵を絞れて、ほんと楽しかった。

 

余談はさておき、本題に入りましょうか。まず、立地。これはやっぱり、都会の中心からやや外れた下町の駅前商圏かな。東京でいうと高円寺とか阿佐谷、あるいは北千住。大阪なら豊中とか千林大宮とか堺東とか。もちろん、我が故郷の尼崎もええね。商店街や飲み屋街があって、適度に人の出入りもあって、にぎわってる感じの街。

 

規模は200台前後かな。あまり大風呂敷拡げて、大型チェーンに真っ向からパワーゲームを挑んでも、ろくなことにならんから。交換率は20スロなら、5.5~6枚かな。これはもちろん、利益率云々じゃなくて出玉感を見せたいがため。「等価=基本ベタピン」じゃ、営業する方としても面白くないやん?

 

機種構成は…ねぇ、難しいところだな。個人的にはハーデスとミリゴ神々の凱旋の2本立てにしたいところだけど、それじゃあ成り行かんだろうし。現実的な路線でいくと、純Aタイプ機とAT/ART機は五分五分かな。とりあえず定番人気機種は必要最低限は取り揃えるとして、いたずらに新台入替に走らず、ちょい古めでも根強い人気のあるのは末永く使いたい。…で、純Aに関しては、「ジャグラーで固めとけばええやろ」じゃなくて、歴代のエヴァシリーズやパルサー系なんかも相当な割合にしたいね。

 

出玉以外の部分での営業戦略に関しては、立地や客層を考慮して、「地域密着」「街の社交場」を二大テーマに、近所の常連さんたちが勝負とは別の意味や価値観で足を運んでもらえるような店作りを目指したい。気の利いた女将さんのいる小料理屋のような、「なんか、居心地いいなぁ」というね、そんな店にしたいね。

 

規制との絡みでいまは突拍子もないことはできないけど。たとえば、いまみたいな夏の暑い季節なら、休憩コーナーにかき氷の機械を置いて「ご自由にどうぞ」とか、お昼時には「料理自慢な店長の奥さん特製弁当、メダル15枚!!」とか、おしぼりひとつにしても紙製の使い捨てじゃなくて手間はかかるけど自前でいい匂いのする洗剤でちゃんと洗濯した布製のものを提供する…とかね。「ひとの手の温もり」っていうのかな。そういった部分には気を遣いたいな。

 

んー、なんか現実的な話に始終しちゃったけど、これも歳のせいかな。さて、ガル憎くんは果たして、どのようなお店作りを目指してくれるのでしょうか。よろしくねー。

 

25年前の日常 from ガル憎

2015/08/06

 

押忍。ガル憎でございます。

ついに始まった「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」。

 

俺とニイサンによる交換日記。わはは。交換日記て。中学生か。青春か。いやいや、これは大人の交換日記。来た球を打つ。投げたい球を投げる。ある種、勝負的な一面もあって面白そう。ヨロシク~!

 

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押忍 ニイサン

 

パチスロ必勝ガイド定期創刊25周年記念、創刊号である1990年9月号が発売されたころの思い出…ですか。1990年から生まれた年の1974年を引くと「16」という数字が出てきますね。ちょうど大学生のころですね。え~と、違います?

 

 

 

言うまでもなく俺は広島。大学生と称した高校生をやっておりましたが、ニイサンの言う「バブル絶頂期」。これ、ぜんぜんピンと来ないんですよね。中学3年くらいの時に先生が「バブルがどうこう」とか「シーマ現象」とか言ってたけど、だからなんだって感じで。とりあえずバンドをしながら焼鳥屋でバイト、有り金をバンドやパチ屋につぎ込む日々でした。

 

基本はニイサンと一緒ですよね。まずはパチンコを打って勝つ。これが第一の目標。それが達成できたら、そのお金でパチスロを打つ。んで、無くなる。最初のころは立ち回りもクソも無くて、とにかく「打ちたい」の一心でした。

 

モーニング。これはもう、神様からのプレゼント。広島駅前の某店でモーニングの存在を知り、通い、今度は別の店へ。目当てはオリンピアの2号機「バニーガール」。その店、打ち込み機(ビッグが成立するまでオートプレイをさせる機械)を使ってて、出目がそのままだったんですよ。なので、朝イチにズレ目の台を打ってビッグをツモる。夢のような日々でした。

 

ようするに、オートプレイでビッグが成立した時点でプレイが止まる。ビッグが成立してるからリーチ目が出る。店がそのままにしてた。ニイサン、こういうありがたい店、たまにありましたよね~。

 

 

パチンコで言うと、当時ハマってたのはマジカペこと初代マジックカーペット(SANKYO)。これはゴム打ちですよ、ゴム打ち。釘調整は左半分がメインだから、右半分の釘調整が甘い店ならゴム打ち(いまで言う右打ち)の方がよく当たるってヤツ。ニイサンに言うまでも無いですが。

 

 

…みたいな話をしてたら昔の話だけで終わってしまいそうなんで、ここで変化球、黒田で言うならフロントドアを投じます(知らない人は調べなさい)。ニイサンがスロ専の店長だったら、どんな機種構成、営業方針にします? すべて自分に権限があるとしたら。

 

こういう話、したことないんで面白そう。

 

25年前の思い出 from アニかつ

2015/08/03

 

ガイドステーションご覧の皆さま、おはこんちは。アニかつでございます。
さっそくですが、この度、「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」と題しまして、コラムを掲載することになりました。

 

文字通り、私アニかつとガル憎が、あたかも交換日記をしているように、キャッチボール形式で話を展開してゆくといった趣向。期間限定ですが、ひとつお付き合い宜しくお願いいたします。では、スタート♪

 

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拝啓 ガル憎くん

19年、師弟コンビを続けてきて、いまさら交換日記なんて、ちと小恥ずかしい感じもするけど、とりあえず今回は、パチスロ必勝ガイド定期創刊25周年記念ということで、創刊号すなわち1990年9月号が発売された頃の思い出話でもしようかな。

 

 

ぼくは当時、大阪で暮らしていて、十代の頃に始めたバンド活動にいそしんでいました。世の中の景気もよく…そうそう、いわゆるバブルの絶頂期ってやつね。バンドもブームだったもんで、ライヴハウスレベルではまぁまぁ名を馳せていたんですけど。かといって、音楽だけでは大した実入りも得られず、ふだんはパチンコ・パチスロを打って生活の糧にしてました。

 

朝はまず、パチスロのモーニングを取りに行き、取れなかったらデジパチの「午前中はノーパンク」というサービスを利用して粘れるだけ粘り、それなりに浮いたらパチスロで勝負…というのが、当時の立ち回りの基本だったね。

 

…ん? 「モーニング」とか、「ノーパンク」っていっても、いまの若い人にはわからんか。モーニングは、あらかじめビッグのフラグを立てておき一発で揃えられるという、当時のサービスの定番。ノーパンクっていうのは「無定量」って意味で、当時のデジパチはラッキーナンバー制が主流だったもんで、どの図柄であたっても持ち玉遊技できるのは、ほんとにお得でしたな。

 

なんせ生活がかかってるもんだから、パチンコを打つことの方が多かったな。ハネモノも甘かったからね。デジパチは、フィーバーレクサスの朝イチ単発回し連チャン誘発打法とか、攻略ネタがたくさんあったし。

 

 

パチスロは…というと、バニーガールやウィンクルがメインといった、2号機のオーソドックスなAタイプがメイン。ライターネームの由来となったアニマルは、いまでいうところのハーデスやミリゴ神々の凱旋みたいな存在だったな。そうそう気軽に打てるシロモノではなかったね。

 

 

そんな感じで、オフステージのほとんどをパチンコ店で過ごしてい当時24歳のおニイサンなんだけど、ガルちゃんはその頃、どんな青春時代を謳歌してたのかな? たぶん、まだ高校生だったと思うけど…まぁ、もう時効だし、色々と懐かしい話、聞かせてちょんまげ。

 

では、宜しくね~!!

 

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