2019/05/24
昨日に引き続き、電子版限定の新刊「消えた名馬 ―年度代表馬で振り返る平成史―」から、ミホノブルボンが無敗のダービー馬となった1992年の章を抜粋します。
1992年はどんな年だったのか? あの日、あの時が蘇ります。
平成4年(1992年)ミホノブルボン
「今まで生きていた中で、一番幸せです」このフレーズを50歳以上の人で知らない人はいないだろう。この年に行われたバルセロナオリンピック、女子競泳平泳ぎ200mで金メダルをとった岩崎恭子、若干14歳にしてこの言葉。「今までって、まだ14歳だろうに」と多少の苦笑を交えて祝福された。
そして、ミホノブルボン。鞍上は小島貞博、デビュー22年目、40歳にしてはじめてのクラシック制覇だった。「僕を男にしてくれた馬」と語ったように、ミホノブルボンは、後年、享年60歳で自裁した男を〝一番幸せだった〟思いにさせてくれた馬に違いない。
700万円という安値で取引された馬が、調教師・戸山為夫流の日に3~4本のハードな坂路トレーニングで鍛えられ、正確無比な逃げ(朝日杯も皐月賞も前半3F35秒4のラップ)から〝走るサイボーグ〟と称され、ダービーは距離不安説が取りざたされるなか、スタート後3Fから9Fまで12秒2~12秒5内の正確なラップを刻み続け、終わってみれば4馬身差の逃げ切りとなり、前年のトウカイテイオーに続き無敗で二冠をとった。そして、このミホノブルボンを最後に〝無敗の二冠馬〟はH17年のディープインパクトまで13年間途切れることになる。
一方の古馬陣。〝平成の盾男〟の異名をとる武豊がメジロマックイーンで天皇賞春4連覇を達成し、二冠馬の先輩トウカイテイオーがジャパンCを制する一方、伏兵メジロパーマーが宝塚記念9番人気①着・有馬記念15番人気①着と大穴をあける波乱ぶり。
これでは、古馬陣が〝きしむベッドの上で〟(アイラブユー♪の尾崎豊がこの年4月に26歳で突然死)くんずほぐれつの激戦を繰り広げているなか、生涯8戦中6戦が単勝オッズ1・2~1・5倍内の圧倒的人気に支持されていたミホノブルボンに追い風が吹こうというもの。生涯最終戦の菊花賞で②着に敗れるも、この年の年度代表馬に座に就くこととなる。
その唯一の敗戦だった菊花賞。逃げ馬ブルボンが逃げず、2番手。レース後、「なにがなんでも逃げていれば」という戸山師と、「逃げていたら②着もなかった」という鞍上とのあいだに確執が生じた。そこで、菊花賞の消去法。
GⅠ格付けのS59年以降、「前走レースで〝逃げ〟戦法を打っていた馬は、2000m以上戦でGⅠ勝ちを含む連対が4回以上ある距離実績馬(H10年セイウンスカイ①着)を除き[0─1─3─45]」
このなかには、前走秋のステップ重賞戦連対馬9頭(H21年1番人気⑤着リーチザクラウンなど)を含む。
教訓:逃げ馬ブルボンが逃げず敗退。逃げ馬は、距離実績に注目すべし。
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