匿名さん
回答者
伊藤真一
自分がスロットのみで生活をしていたのは、なんちゃってなモドキ期間を含まないと1997年〜1999年頃のことです。スロットの時代背景でいうと4号機の技術介入全盛期からCT機・多ライン機・大量獲得機が出たあとぐらいまで。機種でいえばクランキーコンドルから大花火までって感じですね。 そんなAタイプがメインの時代にバリバリと打っていまして、正確には覚えていないですが月間収支の最高額は120〜150万はあったと思います。ザックリ計算すると日当4万を理想としていましたから、それを30日フル稼働すれば期待値は120万になります。理想としては7枚交換(当時の主流)なら112%、6枚交換なら110%、5枚交換なら108%を目指していました。 もちろん、毎日設定6をツモったとしての計算なのでそう簡単にいきませんし、ツモったとしても期待値通りに出るとも限りません。反対に毎日ツモって上ブレの日が多ければ150万とかも行く月もあります。まあ、あとは爆裂AT機時代(初代のミリオンゴッドやアラジンA、サラリーマン金太郎の時代)であれば人によっては数百万とかってパターンもあるでしょう。設定6の機械割が半端じゃないですし、上ブレしたときの見返りもすごいですから。 下ブレで最も苦しんだ月の値段も正確には覚えていないですが、マイナスはもちろんありませんでした。月間収支で20万から30万はあったでしょう。そもそも下ブレで苦しむってことはですよ、『下ブレてる』ってことが認識できる状況なのです。それっていうのは減算値判別で合格(機種によりけりですが設定56)して初めて言えることです。だって設定がわからなければ打っている台のボーナス確率がわからないのですから、ブレてるかブレてないかの判断が出来ません。自分の経験上、キツい下ブレを喰らっても月の期待値が70万以上あればある程度の額は残ります。って昔の話をしても今の時代には大して役に立ちませんし、オッサンの武勇伝みたいでかっこわるいのでこの辺にしておきます。
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回答者:グレート巨砲
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回答者
伊藤真一
自分がスロットのみで生活をしていたのは、なんちゃってなモドキ期間を含まないと1997年〜1999年頃のことです。スロットの時代背景でいうと4号機の技術介入全盛期からCT機・多ライン機・大量獲得機が出たあとぐらいまで。機種でいえばクランキーコンドルから大花火までって感じですね。
そんなAタイプがメインの時代にバリバリと打っていまして、正確には覚えていないですが月間収支の最高額は120〜150万はあったと思います。ザックリ計算すると日当4万を理想としていましたから、それを30日フル稼働すれば期待値は120万になります。理想としては7枚交換(当時の主流)なら112%、6枚交換なら110%、5枚交換なら108%を目指していました。
もちろん、毎日設定6をツモったとしての計算なのでそう簡単にいきませんし、ツモったとしても期待値通りに出るとも限りません。反対に毎日ツモって上ブレの日が多ければ150万とかも行く月もあります。まあ、あとは爆裂AT機時代(初代のミリオンゴッドやアラジンA、サラリーマン金太郎の時代)であれば人によっては数百万とかってパターンもあるでしょう。設定6の機械割が半端じゃないですし、上ブレしたときの見返りもすごいですから。
下ブレで最も苦しんだ月の値段も正確には覚えていないですが、マイナスはもちろんありませんでした。月間収支で20万から30万はあったでしょう。そもそも下ブレで苦しむってことはですよ、『下ブレてる』ってことが認識できる状況なのです。それっていうのは減算値判別で合格(機種によりけりですが設定56)して初めて言えることです。だって設定がわからなければ打っている台のボーナス確率がわからないのですから、ブレてるかブレてないかの判断が出来ません。自分の経験上、キツい下ブレを喰らっても月の期待値が70万以上あればある程度の額は残ります。って昔の話をしても今の時代には大して役に立ちませんし、オッサンの武勇伝みたいでかっこわるいのでこの辺にしておきます。