アニかつ&ガル憎の回胴交換日記

結成から19年を迎えるマッパチのアニマルかつみとガル憎の交換日記!

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25年前の思い出 from アニかつ

2015/08/03

 

ガイドステーションご覧の皆さま、おはこんちは。アニかつでございます。
さっそくですが、この度、「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」と題しまして、コラムを掲載することになりました。

 

文字通り、私アニかつとガル憎が、あたかも交換日記をしているように、キャッチボール形式で話を展開してゆくといった趣向。期間限定ですが、ひとつお付き合い宜しくお願いいたします。では、スタート♪

 

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拝啓 ガル憎くん

19年、師弟コンビを続けてきて、いまさら交換日記なんて、ちと小恥ずかしい感じもするけど、とりあえず今回は、パチスロ必勝ガイド定期創刊25周年記念ということで、創刊号すなわち1990年9月号が発売された頃の思い出話でもしようかな。

 

 

ぼくは当時、大阪で暮らしていて、十代の頃に始めたバンド活動にいそしんでいました。世の中の景気もよく…そうそう、いわゆるバブルの絶頂期ってやつね。バンドもブームだったもんで、ライヴハウスレベルではまぁまぁ名を馳せていたんですけど。かといって、音楽だけでは大した実入りも得られず、ふだんはパチンコ・パチスロを打って生活の糧にしてました。

 

朝はまず、パチスロのモーニングを取りに行き、取れなかったらデジパチの「午前中はノーパンク」というサービスを利用して粘れるだけ粘り、それなりに浮いたらパチスロで勝負…というのが、当時の立ち回りの基本だったね。

 

…ん? 「モーニング」とか、「ノーパンク」っていっても、いまの若い人にはわからんか。モーニングは、あらかじめビッグのフラグを立てておき一発で揃えられるという、当時のサービスの定番。ノーパンクっていうのは「無定量」って意味で、当時のデジパチはラッキーナンバー制が主流だったもんで、どの図柄であたっても持ち玉遊技できるのは、ほんとにお得でしたな。

 

なんせ生活がかかってるもんだから、パチンコを打つことの方が多かったな。ハネモノも甘かったからね。デジパチは、フィーバーレクサスの朝イチ単発回し連チャン誘発打法とか、攻略ネタがたくさんあったし。

 

 

パチスロは…というと、バニーガールやウィンクルがメインといった、2号機のオーソドックスなAタイプがメイン。ライターネームの由来となったアニマルは、いまでいうところのハーデスやミリゴ神々の凱旋みたいな存在だったな。そうそう気軽に打てるシロモノではなかったね。

 

 

そんな感じで、オフステージのほとんどをパチンコ店で過ごしてい当時24歳のおニイサンなんだけど、ガルちゃんはその頃、どんな青春時代を謳歌してたのかな? たぶん、まだ高校生だったと思うけど…まぁ、もう時効だし、色々と懐かしい話、聞かせてちょんまげ。

 

では、宜しくね~!!

 

25年前の日常 from ガル憎

2015/08/06

 

押忍。ガル憎でございます。

ついに始まった「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」。

 

俺とニイサンによる交換日記。わはは。交換日記て。中学生か。青春か。いやいや、これは大人の交換日記。来た球を打つ。投げたい球を投げる。ある種、勝負的な一面もあって面白そう。ヨロシク~!

 

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押忍 ニイサン

 

パチスロ必勝ガイド定期創刊25周年記念、創刊号である1990年9月号が発売されたころの思い出…ですか。1990年から生まれた年の1974年を引くと「16」という数字が出てきますね。ちょうど大学生のころですね。え~と、違います?

 

 

 

言うまでもなく俺は広島。大学生と称した高校生をやっておりましたが、ニイサンの言う「バブル絶頂期」。これ、ぜんぜんピンと来ないんですよね。中学3年くらいの時に先生が「バブルがどうこう」とか「シーマ現象」とか言ってたけど、だからなんだって感じで。とりあえずバンドをしながら焼鳥屋でバイト、有り金をバンドやパチ屋につぎ込む日々でした。

 

基本はニイサンと一緒ですよね。まずはパチンコを打って勝つ。これが第一の目標。それが達成できたら、そのお金でパチスロを打つ。んで、無くなる。最初のころは立ち回りもクソも無くて、とにかく「打ちたい」の一心でした。

 

モーニング。これはもう、神様からのプレゼント。広島駅前の某店でモーニングの存在を知り、通い、今度は別の店へ。目当てはオリンピアの2号機「バニーガール」。その店、打ち込み機(ビッグが成立するまでオートプレイをさせる機械)を使ってて、出目がそのままだったんですよ。なので、朝イチにズレ目の台を打ってビッグをツモる。夢のような日々でした。

 

ようするに、オートプレイでビッグが成立した時点でプレイが止まる。ビッグが成立してるからリーチ目が出る。店がそのままにしてた。ニイサン、こういうありがたい店、たまにありましたよね~。

 

 

パチンコで言うと、当時ハマってたのはマジカペこと初代マジックカーペット(SANKYO)。これはゴム打ちですよ、ゴム打ち。釘調整は左半分がメインだから、右半分の釘調整が甘い店ならゴム打ち(いまで言う右打ち)の方がよく当たるってヤツ。ニイサンに言うまでも無いですが。

 

 

…みたいな話をしてたら昔の話だけで終わってしまいそうなんで、ここで変化球、黒田で言うならフロントドアを投じます(知らない人は調べなさい)。ニイサンがスロ専の店長だったら、どんな機種構成、営業方針にします? すべて自分に権限があるとしたら。

 

こういう話、したことないんで面白そう。

 

もしもアニかつが店長なら? from アニかつ

2015/08/10

記事カテゴリ:from アニかつ
タグ: 交換日記 マッパチ スロ専 店長 

 

まいど!! アニかつでおます。

 

先週から始まった「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」、回顧話からスタートしたんですが、さっそくガル憎が「もしもスロ専の店長だったら?」という変化球を投げてきたので、ガツンを打ち返したいと思います。

 

それでは、スタート!!

 

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拝啓 ガル憎くん

 

スロ専の店長。…というか、オーナー。うむ、これはスロ打ちとしては、ある意味、いつか叶えたい夢だね。

 

そういえば何年か前は、一日店長的なイベントをよくやってたなぁ。シマ図とにらめっこしながら客の動線なんかを考慮しつつ設定配分を考えたり、オススメ台のヒントを凝った文章にしてメール配信したり、朝イチ出目やドル箱の積み方、フダの挿し方なんかで示唆したり。打ち手の心理を解ってるからこそ、こっちも色々と知恵を絞れて、ほんと楽しかった。

 

余談はさておき、本題に入りましょうか。まず、立地。これはやっぱり、都会の中心からやや外れた下町の駅前商圏かな。東京でいうと高円寺とか阿佐谷、あるいは北千住。大阪なら豊中とか千林大宮とか堺東とか。もちろん、我が故郷の尼崎もええね。商店街や飲み屋街があって、適度に人の出入りもあって、にぎわってる感じの街。

 

規模は200台前後かな。あまり大風呂敷拡げて、大型チェーンに真っ向からパワーゲームを挑んでも、ろくなことにならんから。交換率は20スロなら、5.5~6枚かな。これはもちろん、利益率云々じゃなくて出玉感を見せたいがため。「等価=基本ベタピン」じゃ、営業する方としても面白くないやん?

 

機種構成は…ねぇ、難しいところだな。個人的にはハーデスとミリゴ神々の凱旋の2本立てにしたいところだけど、それじゃあ成り行かんだろうし。現実的な路線でいくと、純Aタイプ機とAT/ART機は五分五分かな。とりあえず定番人気機種は必要最低限は取り揃えるとして、いたずらに新台入替に走らず、ちょい古めでも根強い人気のあるのは末永く使いたい。…で、純Aに関しては、「ジャグラーで固めとけばええやろ」じゃなくて、歴代のエヴァシリーズやパルサー系なんかも相当な割合にしたいね。

 

出玉以外の部分での営業戦略に関しては、立地や客層を考慮して、「地域密着」「街の社交場」を二大テーマに、近所の常連さんたちが勝負とは別の意味や価値観で足を運んでもらえるような店作りを目指したい。気の利いた女将さんのいる小料理屋のような、「なんか、居心地いいなぁ」というね、そんな店にしたいね。

 

規制との絡みでいまは突拍子もないことはできないけど。たとえば、いまみたいな夏の暑い季節なら、休憩コーナーにかき氷の機械を置いて「ご自由にどうぞ」とか、お昼時には「料理自慢な店長の奥さん特製弁当、メダル15枚!!」とか、おしぼりひとつにしても紙製の使い捨てじゃなくて手間はかかるけど自前でいい匂いのする洗剤でちゃんと洗濯した布製のものを提供する…とかね。「ひとの手の温もり」っていうのかな。そういった部分には気を遣いたいな。

 

んー、なんか現実的な話に始終しちゃったけど、これも歳のせいかな。さて、ガル憎くんは果たして、どのようなお店作りを目指してくれるのでしょうか。よろしくねー。

 

もしもガル憎が店長なら? from ガル憎

2015/08/13

記事カテゴリ:from ガル憎
タグ: 交換日記 マッパチ 大漁Ⅱ 昭和 

 

押忍。

ガル憎でする。

 

いやはやビックリしました。

 

ニイサン…ガッツリ考えてるぢゃないですかっ!

 

俺はお題を出しておきながら割とライトに構えておりました。

 

とりあえず返球せねば!

 

────────

拝啓、ニイサン。

 

俺は……とりあえずスロ専にします。

 

んで。

 

まずは佇まい(たたずまい)。

 

これはもうずっと前から決めていることで、床は板張りで店員は白のワイシャツ+ネクタイにパンツ。極端に言えば丸イスでもいいです。

 

それだけだと面白くないから店員は「30才以上」にしましょう。いやいや。この際だから「40才以上」でもいい。

 

さらに…パンチパーマ大歓迎!

 

要するに俺は「昭和の店員スタイル」を復活させたいんです。

 

若くて元気な店員がニコニコ&ペコペコしてるんじゃなくてドンと構えてる。

 

遠慮なく客に注意するしマナーが悪いヤツは怒鳴る。

 

客がビビるような…というか客に「俺らの方が偉いんだぞコラ」と思わせないようにしたいですね。

 

主導権は店員にあり。

 

これだけは譲りたくないです。

 

ただ昨今のパチスロには知識が必要なんで、若い店員(知識がある店員)をひとりシマに置く。

 

ゲーム性の説明的なことはそいつに任せて残りは昭和組の仕事。仕事ができれば高卒どころか中卒でもオッケー(図らずも雇用問題を解消できるパターン)。

 

で。

 

カウンターには事務服を着て愛想が良くてテキパキ動けて客をリードするようなオカン。事務服みたいなのを着せちゃいましょう。

 

店名はズバリ「★★会館」。★には店のある地名などを反映させます。ネオン感も丸出しで夜になるとその光が行ったり来たり。

 

肝心の「設置機種」ですが、これはもう完全に俺の独断。新台入替も滅多にせず、設置機種で「個性」を出す。

 

それこそ大漁2なりニューパルDXなりコクッチーなり、Aタイプを半分くらい置いて(当然ジャグラー含む)みんなに遊んでもらいます。設定4メインで「あとは自分のヒキで」としつつ「それなりに遊べますよ」とか。

 

 

なんていうか、最近のホールって個性ゼロじゃないですか。話題どおりの人気機種を入れ、それが当たれば喜ぶ。コケたら「なんだこの台は」と、すぐ中古市場に出す準備をする。

 

アホかと。

 

競合店と競うかのように新台を入れるんだけど、台の良し悪しは考えてない。地域一番にとか地域最大台数とか、そんなことばかり。

 

ウチの店はすぐに買いませんから。他店舗の状況を見て良し悪しを決めますから。

 

だって1台30万だの40万だのするワケですよ?

 

それを何台も買ってダメなら諦めるとか、馬鹿馬鹿しくてやってられません。

 

とにかく設置機種と設置時期で「個性」を付けます。結局お客さんは「勝ちたい」ワケですから、設定を入れれば古い台でも知らない台でも打ちます。たとえば大漁2が毎日6なら来てくれます(物好き含む)。さらに「大漁2を打つならあの店」となります。

 

そういう店にしたいですね。

 

とにかく他の店がやってることなんてガン無視でありアウトオブ眼中であり知ったこっちゃありません。個性が無い時代に「没個性」に進み続ける全国のホールと違う方向を向きたいですね。

 

だから店員がタバコを吸ってもいいし客を怒鳴ってもいいんです。それが嫌なら他の店に行け。そんな感じで。

 

ニイサンの書いてた「居心地」。言ってしまえばそれです。クセのある店だけどいい。なんか楽しい。特定の野球チームが好きな店員がいたら、そのチームが前日に勝ってれば機嫌がいいし逆なら機嫌が悪い。そんなんでいいんです。人間なんで。

 

……おっと。ほんのりアツくなってしまいました。

 

語り始めたらキリが無いんで次に進みますかね。

 

次の球は……。

 

チョイと深めに攻めてみましょうか。

 

ニイサンはずっと東京にいます?

 

いつかは尼崎に帰るとか考えてます?

 

そのあたり、よろしくです。

 

押忍。

 

いつか故郷へ帰るか否か from アニかつ

2015/08/17

記事カテゴリ:from アニかつ
タグ: スロ専 店長 尼崎 広島 

 

まいど。アニかつです。

 

先週は、ガル憎くんからの「もしもスロ専の店長になったら?」という問いかけに対し、割と真面目にあれこれ考えてみたんだけど。

 

またしても唐突な話題変換の変化球。

 

ガツンと打ち返しますか。

 

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拝啓 ガル憎くん

 

前回のテーマ、「もしもスロ専の店長だったら」。きみの考えは、おおむね想定どおりだったな。

 

レトロな店の佇まい、パンチの効いた中年店員…たぶん、そうくると思ってた。

 

とにかく、我々がパチやスロを覚えた当時は、どこの店もそんな感じだったね。

 

マニュアルどおりの杓子定規な接客もなく、客が行儀悪いことしたら遠慮無く怒る。へたすりゃ、殴られたりもする。客も怖かったけど、それ以上に店員が怖かった。だから、パチ屋というひとつ屋根の下、社会的秩序が保たれてたと思う。

 

いまは、そういう「怒る大人」がいなくなったからね。これはパチ屋の中だけじゃない。学校や実社会においても、そう。

 

体罰を容認するわけじゃないけど、いまの子供たちは痛みを知らないから、無情なイジメや犯罪が増えたんじゃないかと、自分は思います。

 

…おっと。ちと話が逸れてきたので、新たな質問であるところの「ずっと東京にいますか?」に対する回答に移りましょうかね。

 

自分が東京に拠点を移したのは、いまから24年前の1991年。25歳の時だった。

 

前にも話したとおり、高校を中退し十代半ばから音楽の世界にどっぷり浸っていて、ライヴハウスレベルでは、まぁまぁなところまでいって、一応はメジャーレーベルからもデビューさせてもらった。

 

でも、一向に音楽だけでメシが喰えるまでにはなれず、色々と行き詰まりを感じていたのね。関西での生活に。

 

そんな時、東京の知り合いのバンドから誘われて。「これが最後の賭けや!!」と一念発起して、東京へ移住したの。

 

結局、そのバンドも1年ちょっとで崩壊して、まぁ…夢、破れたというか、なんというか。手首を怪我して楽器を弾けなくなったのもあって、「これが潮時か」と、音楽から足を洗った。

 

在阪時代から生活を共にしてきた彼女にも、逃げられてね。もう、完全に人生の曲がり角に差し掛かっていた感じ。でも、帰ろうという選択肢は、不思議と無かったね。

 

で、今後の人生、どうしようか…と迷っている時、たまたま縁のあったパチスロ必勝ガイドの秋山プロからの誘いで当時の人気企画「13時間デスマッチ」に読者代表として参戦して、その時に書いた実戦記の文章が編集部に認められ、ライターに登用された…と。

 

最初のうちは当然、仕事も少なく、アルバイトとの掛け持ちで生活は苦しかったんだけど、半年もすると月に何十ページも抱えるメインライターのひとりになってた。

 

そこで思ったね。「これは天職だ。東京に骨を埋めるつもりで、頑張ろう」と。

 

いまはインターネットがあるから、我々のような仕事は東京にいなくても成立する。でも、なんやかんやでメディアの発信源は東京にあるわけだから、東京にいる方が都合がいいというか。

 

まぁ、そういった仕事の都合を抜きにしても、尼崎に帰るつもりは、当面ありません。

 

そりゃあ、大好きだよ。我が生まれ育った尼崎という街は。住んでた頃は気づかなかったけどね。離れてみて、客観的にみて、「ああ、こんな素晴らしい街だったのか」と。

 

でも、帰らない。もう両親もいないし、実家はとっくの昔に弟家族に委ねてあるし。家族ではあるけど、もう完全に他人の家な感じだもん。

 

とにかく。一念発起して東京へ移住して生活の基盤も出来上がっちゃったから、当面はそれをリセットする予定はないね。

 

いまの仕事があと何年、続けられるかはわからないけど。先にも言ったとおり、東京に骨を埋めるつもりです。

 

ガル憎くんは、やっぱりいずれは広島へ戻るのかな?

 

ピッチャー交代 from ガル憎

2015/08/20

記事カテゴリ:from ガル憎
タグ: マッパチ 広島 結婚 お好み焼き屋 

 

拝啓、お兄さま。

 

残暑が厳しくならないかもしれない。それは困る。俺は夏が大好きだ。諦めるんじゃないよ夏。もっと来いよ夏。逃げてんじゃねーぞ、ナトゥ。

 

はい。最後だけ長島三奈になってしまいましたが、ニイサンの「東京に骨を埋めるつもり」発言。ちょっとビックリしましたね。

 

ビックリしたというか、改めてそういう話をしたことが意外と無かったから「おお、そうなのか」という意味での驚きというか。実家に弟さんの家族がいるとなると、たしかにそうなるかもしれないですね。俺は長男、実家は空いてる(いまは婆ちゃんだけ)。それを考えると、まあ、普通に広島に帰りますよね。世間一般的というか。

 

基本は「結婚をしたら帰る準備に入る」&「広島で子どもを産む」というスタンスです。ただ、なんの因果かまだ未婚なもので、帰ろうにも帰れない感はありますね。子どもの前に、そもそも嫁がいねーだろと。

 

当初、俺が東京に残っていた理由は違うんです。もちろんこの仕事があって、それでメシを食えてるってのがあるんですが、高校卒業と同時に、広島の(同じ学校や幼な馴染みの)連中が、こぞって東京に出てるんですよね。それぞれに夢を抱いて。中にはスタイリストを目指して、ミスチルのスタイリストをやるまで出世した同級生もいるんです。いるんですが、そいつを含め、俺以外、全員が広島に帰ったんですよ。

 

夢を諦めた者。夢を変えた者。故郷が第一と気づいた者。東京に負けた者。いろんな理由で帰りました。20人~30人くらいいるそんな連中の中で「いまも東京に残っている人間」。これが俺ひとりなんですよね。だから最初は、そのみんなの想いも背負っていこう。お前は東京に負けたかもしれん。お前は夢を諦めたかもしれん。でもお前らの分まで俺が東京で頑張って、広島人であることを誇りに持ちながらアピールし続け、成功してやる。日本の真ん中で、広島人として堂々と生きてやる。そんな使命感があったんです。だって、ここで俺が広島に帰ったら「ゼロ」ですから。俺の世代、俺の仲間。東京に残ってる人間が「ゼロ」になりますから。こんな悔しいことは無いじゃないですか。

 

いまは逆に、そういうのが落ち着いてきたというか、地元に帰るなり、別の場所を選ぶなり、そうして東京を離れたんだけど、成功してる仲間が増えてきたんですよね。かつては「都落ち」だった。でも、いまは違う。年齢もあるでしょう。40歳チョイなんで、最初の失敗から這い上がり、次の人生が軌道に乗り始める時期でもあるんでしょう。だから、いまはそういうのが落ち着いた分、いよいよ「自分はどうなんだ?」と、自らの考えを最重視するようになりましたね。

 

長くなりましたが、結論から言うと俺は広島に帰ります。電撃、なんてことになれば1年後かもしれないし、普通に5年後くらいかもしれないし。広島に帰って「お好み焼き屋」か「焼鳥屋」をやります(前者が濃厚)。カープの試合がテレビ中継で観れて、任せられる店長がいて(すでに候補者あり)、俺はお客さんと飲みながら話す。客と飲む名物店長になろうかと。楽をしたいだけという説もありますが、俺、やっぱ人と話すの好きなんで、若い子の人生相談とか恋愛相談とか、同世代やオッサンとのカープ談義とか、そういうのをしたいんですよね。んで「あそこの社長は飲んでばかりじゃけど話が面白い。そのかわり飲み代は客が出さんといけん」みたいな。広島に新しいスタイルの「憩いの場」を作りたいです。社長がタダ酒の飲める憩いの場を。俺の憩いの場を。

 

というワケで、ニイサンは東京に骨を埋める。俺は広島に帰る。ここまでは分かりました。次はどうしましょう。嫌いなビールについて話しますか。いや、これじゃあふたりとも「モルツ」って答えるからすぐ終わるな。よし、ここは逆に「フリー」でいってみるか。俺の質問にニイサンが答えるんじゃなくて、ニイサンが「なにか書く」。それに対し「俺は」と答える。これで行ってみよう。いつも俺がピッチャーじゃ面白くないもんね!

 

ではニイサン。お好きな球を投じてください。

 

お肉といえば牛やろ!! …的な。 from アニかつ

2015/08/24

記事カテゴリ:from アニかつ
タグ: うどん 西日本 餃子 東日本 

 

まいど。アニかつニイサンでおます。

 

先週は、「いつか故郷に帰りますか?」というテーマでやり取りしたのですが。ふだんから広島愛をアピールしてやまないガル憎くんは、やはり予想どおり、「いつか必ず帰る」との返答でしたね。

 

さてさて、今週は「ニイサンが好きな球を投げてください」ってことなので、東京に移住して驚いたことなどを綴ってみようと思います

 

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拝啓 ガルヲくん

 

いま、この日記を書いているのは、8月20日。たぶん今ごろ、広島土砂災害復興支援ライヴイベントが開演した頃合いじゃないかな。

 

自分も週末に大阪でライヴがあり、その準備などでバタバタしてるので、残念ながら観に行けないけど、陰ながら応援してますよ。

 

さて。今週は自分の方にテーマの主導権が委ねられたということで、「東京に移住してみて驚いたこと」なんかを書き綴ろうかな。

 

自分は1991年に関西を離れる以前から、バンドのツアーで度々、東京へは足を運んでたんだけど。何に驚いたかといえば、やはり食文化の違いだね。

 

最たるものが、うどん。まず、出汁の色に驚愕した。麺が茶色く染まっちゃうほど、真っ黒なんだもん。味も、ミョーに甘しょっぱいしね。出汁の旨みが感じられず、醤油とミリンの味しかしない。これにはもう、憤りを通り越して、悲しくなったね。

 

これは後年わかったことなんだけど、そもそも東京は蕎麦文化なんだよね。蕎麦に合うよう、濃い味の出汁になっていると。だから、うどんに合わないのは当然のことなんだな。だったら、無理にうどんを喰うことはない。蕎麦にしよう。そう考えたら、少し気分は楽になった。まぁ、近年では讃岐系の店も増えて、それなりにまともなうどんが喰えるようになったからいいんだけど。

 

ところで、うどんといえば、トッピングに欠かせないのがネギなんだけど。これも、西と東とでは歴然とした違いがあるね。ガルちゃんもわかると思うけど、我々西の人間にとって、トッピングのネギは、青。さらに具体的にいえば、新鮮な九条ネギだよね。ところが、東だと真っ白なんだな。味はそんなに変わらない。でも、色合いが…ねぇ。青の方が断然、美しいし食欲をソソると思うんだけど。

 

食材についていえば、「お肉」についての考えた方も、ぜんぜん違うね。たとえば、肉じゃが。関西というか西日本全般、肉じゃがといえば牛肉を使うのが基本というか絶対原則だと思うんだけど、東日本は豚なんだよねー。肉うどんも同様。初めて喰った時は、膝から崩れ落ちそうになったよ。

 

東日本のひとからすれば、「お肉」といえば、種別を問わず肉類全般を指すんだろうけど、関西はちゃうからね。「お肉」は問答無用で牛肉。豚肉はブタ、鶏肉はトリもしくはカシワと、明確に呼び分けるんです。だから、肉じゃがとか肉うどんに豚肉を使うのは、違和感満点というか、なんというか。

 

あと、食事の作法なんかにも、西と東の違いは多々あるね。その最たるものは、餃子のタレ。若い頃、初めて東京の中華料理屋で餃子を頼んだ時、めっちゃ戸惑った。だって、餃子のタレというものが、テーブルに完備されてないんだもん。「なんでやねん!! めんどくさいわ!!」って怒ったら、一緒にいたひとに「なに言ってんの。酢と醤油を混ぜて作るんだよ」って、逆に怒られちゃったよ。

 

酢と醤油が絶妙な黄金比で配合された餃子のタレが完備されているのが、西日本での常識だと自分は信じてるんだけど、どうなんだろ。関西にいた頃は、餃子を含めた中華は、早い・安い・美味いの三拍子揃った王将が基本だったから、他の店はあんまり記憶にないんだわ。…あ、でも、九州系のラーメン店でも餃子のタレは完備されてたりするからなぁ。

 

まぁとにかく。関西にいた頃は、「これが当たり前」と思ってたから、食に対するこだわりみたいなのは、あんまり無かったんだけど。東京に移住して、文化の違いに驚愕するとともに、痛感したね。「ああ、いままでおれは、なんて美味いものに囲まれて過ごしてたんだ」って。

 

…というわけで。広島でお好み焼き屋あるいは焼き鳥屋を開業することが将来の夢というガルヲくん。食文化を含め、西と東の違いについて、持論をぶちまけてください。

 

東西闘論・ガル憎篇 from ガル憎

2015/08/27

記事カテゴリ:from ガル憎
タグ: うどん 餃子 ラーメン マッパチ 

 

押忍。ガル憎で押忍。

 

ニイサンの書いてたとおり広島で復興支援ライブをやって燃え尽きて空っぽになって帰ってきました。

 

お陰で更新が遅れたような気もします。

 

担当編集Hさんが優しい感じで原稿の催促をしてきたんですが、

 

おそらく内心ではブチキレだったと思います。

 

ごめんなさい押忍!

 

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押忍 ニイサン

 

お題は「東京に移住してみて驚いたこと」。これはですね、ハッキリ言ってニイサンと同じなんです。言いたいことも書きたいことも。

 

なので俺からは特にありません。

 

とか書くとここで終わってしまうので俺の具体例を挙げましょう。

 

東京で初めて「うどん」を食べたのは高田馬場。

 

駅のすぐ近くにある「白鳥ゲームセンター(上京したころはスロ専だった)」の横に立ち食いの店があって、上京当時、風邪をひいて体調が悪く食欲も無かったんで「こんな時はうどんに限る」となって食いに行ったのね。もちろんニイサンが書いてるように「黒い醤油ダシ」ということは知らない。うどんは全部、西日本バージョン(昆布&薄口醤油の薄いダシ)だと思ってたから。でも、ここは東京。出てくるのは当然「黒いダシ」のうどん。目の前に出された瞬間、冗談でもなんでもなくフリーズしちゃってね。一瞬、なにが出てきたのか本当に分からなかった。注文を間違えたのかと思った。で、いまでは笑い話なんだけど、店のオヤジに真顔で「すいません。普通のうどんを頼んだんですけど」と。言われた方も言われた方で「は?」。再び俺が「だから、普通のうどんを頼んだんですけど」。イラっとした顔をしながらオヤジが「だからそれがうどんだよ!」。そう言って背中を向けた。

 

俺はうどんを見つめながら、しばらく考えた。なにか珍しいうどんを出す店にでも来たのだろうか。いやいや、立ち食いでそれは無いよな。そんなことを思ってるとサラリーマンがやって来て「うどん」とひと言。これはチャンスだとその行方を見守っていると、俺と同じうどんが出てきて(当たり前)、サラリーマンがツルツルっと軽快に食べて(当たり前)、お金を置いて「ごっそさん」みたいな感じで去って行った(当たり前)。その丼を片付けようとして振り返った店のオヤジがチラリと俺に目をやり、まだ食ってない姿を見て「チッ」と舌打ちをして背を向ける。

 

おい!

 

チッて!

 

いまチッて言うたじゃろうが!

 

と言いたい気持ちをグッと飲み込んで、うどんをすする。ぬあああああ。なんだ。なんだこの味は。やっぱ違うじゃんか。やっぱ普通のうどんじゃないじゃんか。風邪で熱があったから、最初は味覚が麻痺してるのかと本気で思った。でも、それが東京の、関東のうどんだった。ウソみたいな話というか、ウソみたいな感想に思えるかもしれないけど、西日本の人間、そのほぼ全員がこの「洗礼」を浴びているのです。

 

もちろん、ちゃんと理解した現在は大丈夫ですよ。富士そばとか行きますよ。ただ、なにも知らない最初は本当にビビったという話。でも、見た目に反して、じつは関東風の方が塩分が少なかったりするんだよね。黒い=しょっぱい。そういうイメージがあるけど、塩分量は西日本のダシの方が多い。これを知らない人、意外と多いです。

 

あ。別に関東をディスってるワケじゃないですよ。食文化の違いに驚いてるだけです。んで、ニイサンも書いてたように東京は蕎麦文化。このあたりの話を簡単にまとめると、西日本の場合は「うどん屋に蕎麦がある」。そして東日本は「蕎麦屋にうどんがある」。メインとなってるものが違うと。

 

それこそ、ざる蕎麦を食べたのも東京に出てから。この時はダシの色がどうこうじゃなく、普通にテンションが上がった。よくドラマなんかで、それこそ刑事モノのドラマなんかでざる蕎麦を食べるシーンとかあるじゃん。あれに、ちょっとした憧れみたいなものがあったんだよね。なんせ当時の広島には、少なくとも俺の知ってる範囲にはざる蕎麦を食わせる店なんて無かったから。だから食って「刑事みたいだ~」と普通に喜んだ。ミーハーだった。なんか大人になったような気もした。そのお陰か、いまでもざる蕎麦は好きです。

 

長くなったけど勢いついでに書こう。餃子のタレ。これもニイサンと一緒。東京に来て初めて中華料理屋に入った時。あれは忘れもしない渋谷センター街の中華料理屋。チャーハンと餃子を頼んだのね。んで、待ってる間になんとなくテーブルを見ると、醤油、ラー油、酢が置いてある。餃子のタレは言わないと持ってきてくれないのかな?

 

そんな感じで待ってたら餃子が来た。でも、タレは来てない。店員に「すいません。餃子のタレを」と言うのだが、そんな時に限って店員が中国人でね。しかもカタコトの日本語しか話せない人で。普通に日本語が話せれば互いに理解できたんだろうけど、向こうは俺が言ってることが理解できない。俺は向こうが言ってることが理解できない。仕方ないから醤油で食ったもん。餃子、醤油だけで食ったもん。んで、その脇に置いてあるラー油と酢。いまでこそ分かってるけど、当時は分かってない。まずラー油は見た目で分かるよね。でも「ラーメンに足すのかな?」くらいにしか思ってない。醤油も分かる。じゃあ残りの酢。俺はこれを「なに」と思ったでしょう?

 

正解は・・・「レモン水」。

 

ぶははははははははははははっ。なんでだよっっっ。なんでレモン水なんだよっっっ。でも、水にしては透明感が悪いし、他に思い浮かばない。餃子を醤油で食いながら「このレモン水はどの料理にかけるんだろう」とか思いながら食べて店を後にしたことを覚えています。

 

ちなみに俺、いまでも餃子のタレが作れません。自分で作るという関東のルールを理解、郷に入りては郷に従え。その精神があっても作れないんです。いま、今日現在そうなんです。みんなは「適当に入れればいい」って言うし本当にそうなんだろうけど、なんか作れないんです。適当な配合ってのが怖いんです。

 

結局どうするかというと「適当に入れればいいのは分かったから作って」と、一緒にいる人にお願いします。それが後輩であろうと先輩であろうとお願いします。そのクセ、お願いしたものに「醤油が足らないな」とか言って足したりします。サイテーですね。あるいはドイヒーですね。でも、自分で作れる関西の人間にこの話を言うと「気持ちは分かる」。割と理解してくれます。

 

って。

 

うどんと餃子でどんだけ長く書いてんだよ。そんな感じではありますが、俺の大好きなーメン。これに関して言えば広島は「完敗」と言ってもいいんじゃないでしょうか。特に俺が「第二の故郷」である高田馬場は全国屈指と言っても過言ではないラーメン激戦区。美味い店が潰れることだって普通だし、とにかく、いろんな味のラーメン屋があってレベルが高い。

 

広島にもラーメン屋は多いんだけど、やっぱ「選ばないと」いけない。東京みたいに「ラーメン食いたいな」と思って、あの店かな。いや、今日はこの店だな。美味いラーメンの中から胃袋と相談して食いたいものを選ぶ感じ。広島でラーメンを食べる場合は、正直、妥協というか諦めてます。冒険しても失敗することが多いんで、天下一品とか行っちゃいます。ええ。すなわち「逃げのT」です。

 

俺が東京に出てきたのは19才。現在41才。東京生活22年目。そう、俺が愛して止まない、名を挙げて止まない広島。そんな故郷よりも東京にいる歳月の方が長いんですよ。20代のころは「東京がナンボのモンじゃ。広島ナメんなよコラ」って感じで生きてたけど、歳月だけでバッサリ考えるなら、むしろ「東京人」じゃねーかと。まあ、美味しい食べ物もあるし、ラーメンは最高だし、夜遅くまで遊べるし、仲間もたくさんいるし。普通に好きですよ、東京。ただ、ネギは青い方が嬉しい。餃子のタレがあった方が嬉しい。そんな感じですかね。あとは、特に高田馬場が好き。俺の原点ですからね。

 

さて。ここからは「お好み焼き」について、と言いたいところなんだけどヤメときます。終わらないんで。んで、ニイサンに投じる球。なにがいいかなあ。せっかくだからアレだね。普段あまり聞けない、恥ずかしくて言えないことにしましょうかね。

 

そうだ。マッパチバンドにしましょう。マッパチでバンドをやることになったのが15年前の2000年。俺がボーカルを始めたのが2000年。そう、俺はマッパチバンドからボーカリストになったんです。ド素人だったのです。なので、当初の感想とか、メジャーデビューまでしたミュージシャンから見た「ボーカリスト・ガル憎」についてどう思ってるか聞いてみたいです。ズバリ、本音で言ってほしいです(怖いけど)。いい部分も悪い部分も含めて(怖いけど)。ええ、そういう意味ではコレ、ズバリ「直球勝負」だね。思いっきり腕を振ってド真ん中に投げます。豪快なフルスイングをお待ちしております。

 

マッパチCDデビューをふり返る from アニかつ

2015/08/31

 

まいどー!! 先週、ついに五十の大台に乗っちまったアニかつニイサンです。

 

もはやニイサンというより完全なるオッサンなんだけど、これからも宜しくねー。

 

それでは今週も、MADな交換日記、スタート!!

 

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拝啓 ガルヲくん

 

先週のお題、「東京に移住してみて驚いたこと」。まぁ、お互い感じるところは、やっぱ同じやね。

 

ちなみに餃子のタレ。これはね、自分的には酢と醤油を7:3~6:4にするのがベストかな。東京というか東日本は、濃口やん? だから、イーブンにしちゃうと、どうしても醤油の主張が強くなる。だから、酢を多めにしたら、ほんのり甘酸っぱくて、西で標準的なタレの味に近くなるんだわ。

 

…ってか、「レモン水」はないやろ。あんな小さな容器で。これは本気で、ビール噴きそうになった。

 

まぁ、食の話をしてたら尽きないので、ぼちぼち本題に入りましょかね。

 

えーと、えーと……なになに。「ボーカリストGARU-ZOWについて、どう思ってるか?」とな。これはまた、随分と詰め寄ってきたねー。

 

じゃあ、古い話から順をおって、してみようかな。

 

あれは確か、2000年の春の終わり頃のことだっかな。編集部から「マッパチでCDデビューの打診があるんですが」という連絡があって、とりあえずその突拍子もない話を持ち込んできた者と会うことになった。それが、いま濱マモルという名のライターで活躍している、某大手レコード会社のディレクターだった。

 

「昔からガイドを読んでて、お二人がロック好きなのを知ってたので、常々、マッパチでバンドを組んでCDを出したら、面白いんじゃないかなと思ってまして」と。

 

まぁ、悪くない話だが、その時点では、この男がどこまで本気で考えているかは、計り知ることはできなかった。そもそも、自分もベーシストだし、ガルもベース経験者。まさか、ツインベースでバンドをやるわけにはいかんだろ。

 

カラオケで歌うとけっこう声量もあるし、なかなか声質もいい。まぁ、そんな単純な理由で、半ば必然的というか強引に、きみにボーカル担当を押しつけちゃったわけだけど。まぁ、ずいぶんと重い荷を背負わせちゃったもんだね。

 

メンバーを集めて、自分が曲のデモを作って、バンドアンサンブル作りのリハーサルが始まったんだけど。まだ歌の節も詞もできてなくて、自分は正直、大丈夫かなと思った。いざレコーディングとなってスタジオに入った時点でも、歌パートに関しては未完成。これはぜったい、スケジュールと予算がオーバーしちゃうと思ったね。

 

ところが…だ。きみは頑張ってくれた。作りながら創るってのかな。オケを録ってる間、ブースで歌詞を書いては修正したり、歌を取り始めても色々と歌い回しを変えてみたり。初めてながら、懸命に努力して最高のものを目指して頑張った。

 

まぁ、自分も8年ぶりの本格的なレコーディングだったもんで、ギャップを埋めるのに少々というか、かなり苦労はしたんだけど、きみの苦労に比べたら、鼻くそみたいなもんだったね。

 

とりあえず、マッパチバンドのデビュー作「2/16384」は、ドラム兼プロデュースを担当の本郷氏の手腕もあって、手前味噌だけど予想していた以上にレベルの高いものに仕上がったと思う。セールス的にもよかったしね。

 

…で、翌2001年にスロ好きアーティストを集めてオムニバス・アルバム「SLOT-ISM」、2003年に「SLOT-ISM II」を出すことになるんだけど。回を重ねるごとに、メキメキと成長してゆくのがわかった。なんていうのか、そういうところは元々、器用なんだよね。

 

 

ご承知のとおり、自分は元々、トラディショナルなハードロック/ヘヴィメタルが好きで、一時のブランクはあったものの、いまも再びそっち方面のバンドをやっている。そっち方面の価値観でみれば、GARU-ZOWのボーカルスタイルは正直、望まれるものではない。しかし、マッパチバンドとなると、話が違う。

 

1992年に一度、音楽から足を洗って、マッパチバンドで活動を再開するまでの8年のブランク。ある意味、これが自分の中での音楽的な嗜好、あるいは音楽に対する考え方を変えてくれたね。

 

プロ目指してがむしゃらにやってた頃は、「オレにはこれしかない!! これ以外は認めない!!」と、頑固なまでにHR/HMに固執してた。しかし、引退して色んなしがらみから解き放たれた途端、それまで聴くことの無かったジャンルも抵抗無く、そして積極的に聴くようになり(生理的に絶対無理なジャンルは聴かなかったけど)、世界が拡がったんだ。その中に、きみも好きな、いわゆるラップコアというものがあってね。「ああ、こういうの、やってみたいな」と、思うようになった。そんな矢先の話だったんだな、マッパチCDデビューって。

 

とにかく。何事にしろ自分に与えられた責務は一切の妥協と手抜きをせず、全力をもって完遂しようと頑張るからね、きみは。頑張りすぎて、キリキリ&ピリピリして、「面倒くさいなぁ、コイツ…」と思うことも多々あるんだけど、しっかり結果を出すから。そこはほんと、頭が下がる。

 

…と、まぁちょっぴり褒め過ぎちゃった感じだけど。いまは自分のバンドの方でも色々と頑張ってるし、ボーカリストとしては十分、成長したのではないかと思います。スタイル的には、今どきのヤングにウケる類だから、頑張って来年あたり、サマソニとか目指してみてはどうかな。大丈夫、できるって。

 

思考の問い from ガル憎

2015/09/03

 

押忍。

 

そっか~。ニイサンもいよいよ50代か。まあ、弟分である俺ですら41才だからね。さらに言うと若年層プレイヤーは息子・娘でもおかしくない年齢だからね(参考までに言っておくと山本コーラ・ういち・無道は同い年)。

 

まあ、それはそれとして、とりあえず今回も始めましょ~か。

 

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拝啓 兄上

 

今回は「お題」的なものが無いんで自由に書いてみようと思うんですが、ニイサン。ズバリ、パチスロを打ってる時、なにを考えてます?

 

俺は、まあ「当たれ」とか「出ろ」とか、王道的な思考も働いてはいるんですが、割と邪念が多いかもしれんのです。いや、邪念というか不平不安というか、あるいは文句と言うか。ツマんね~連続演出とか見せてんじゃね~よ、当たってないことは分かってんだよ。そんな煽りにまんまと騙されるとでも思ってんのかよ。下手か。演出、下手か。俺が作った方がマシだぞオイ。俺ならこうするぞ。みたいな感じのことを。

 

なんか「上から目線」なんですよね、俺って。金を使ってんのはコッチだぞ。まず「遊技機」という大前提があるんだから、勝敗に関わらず、遊技機として「楽しさ」を提供しろよ、みたいな。でも、そうやって腹を立ててる時に限って当たりません。負けが込んで「もうどうにでもなれ!」とヤケクソで追加投資をしてる時なんて、完全アウト。すべてが裏目に。ガンガン裏目に出ます。

 

逆に当たるのは「無心」な時。もう少し具体的に言えば「無欲」な時。たとえばジャグラーで連チャンしてる時って、まるでそれが普通であるかのように早いゲーム数で当たりません?

 

あれ?

 

当たるんですよっ、俺の場合。ジャグ連の時はもう「当たる」ことを普通に信じてて、それっぽい出目(スベリ)で「はい。これ光る~」とか思ってたら本当に光る。光っても「やっぱりね」と思ってる。けど、ジャグ連が終わって「もう一発!」とか「ハマるなよ~」と欲が出始めると当たらなくなる。

 

まあ、オカルトですよ。所詮はオカルトです。でも俺の中では「ある」んです、そういうのが。それこそGODなんて「引いてやるぞ」とか「この気合いで」とか叩いて引いたこと無いですしね。コイン拾いながら叩いたらプシューンってなるとか、そんな感じ。ニイサンは割とクールに、淡々と打ってるイメージがある。それでいて1日にGODを7回も引くとか、尋常じゃないヒキを見せる。アレってなんだろうと。GOD引いてる数ひとつ取ってもぜんぜん違うんで。所詮オカルトなんですが、20年以上もパチスロを打っててのオカルトというかジンクスというか、そういうのもあるんで、ヒキの強いニイサンは普段、なに考えてんのかなと。ちょっと聞いてみたくなりました。

 

あと、俺はハナハナなどを代表とする先光り系の沖スロを打ってる人がスロッターの中でいちばん偉いと思ってます。ジャグラー系じゃなくてハナハナ系。つまり「先告知」。これってヒマじゃないですか。たとえば7000G回してビッグ40回、レギュラー30回。合計でボーナス70回。それだけ引けば「よく当たったな~」と思うし勝ってるし大満足なんだけど、残りの6930G。つまり「99%」はレバーを叩いた瞬間に「ハズれました!」と告知されてるワケです。7000Gの内の70回。当たりなんてわずか「1%」なワケですよ。その残りの99%を打ち切れる。凄いです。偉いです。

 

俺も「今日はガッツリ打とう」と思って朝からハナハナとか座ることがありますが、1~2時間も経つと「なんか物足りないな~」とか「ATとかARTでヒリヒリしたいな~」とか思い始めちゃう。そういう意味で、あるいは俺の中にある基準において、ガル憎というスロッターは「二流」なんです。ハナハナを朝から晩まで打てないクセに、なにが「スロッター」だと。

 

話が少し脱線気味になってきましたが、とりあえずニイサンの意見を待っております。

 

押忍。

 

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