2015/10/29
押忍。 ガル憎です。 当初の予定より延長して続けてきた当コラム。 今回をもって終了! つまり俺の更新で終了! あれ? それ大丈夫? 最後が俺でいいの? ニイサンじゃなくていいの? といってもこれが最後なんだから仕方ないよね。 いかせてもらいますからね。 ラスト1球、ドスン! -------------------------------- 拝啓 長兄&皆様 最後だから気合いを入れて書こうかと思いましたが、よくよく考えてみたらニイサンから「お題」が出されてなかったんですよね。最終回、しかも「締め」の内容がまさかの「フリー」。試合を決めるべく抑えピッチャーが登板、2アウトフルカウントからの1球がノーサイン。そんな心境でございます。 で。 これでラストってことはニイサンの「返事」も無いんですよ。俺が「お題」を出すことも無いんですよ。じゃあ、もう自由にやっちゃおうかと。そう考えまして、そう決めました。 はい。 現在、俺は休みの日に都合がつけば茨城県の常総市に行ってます。9月に起きた「関東・東北豪雨災害」。いろんなとこで書いてるから嫌というほど知ってる人もいると思うけど、ようするにボランティア。朝から現地に行って復旧作業をしとるワケです。 広島土砂災害の時もそうだったんだけど、基本的にこういうのは「現地で指示された場所に行く」のが普通。たとえば今日もし行ったとして、どこかのお宅で復旧作業をする。次に行った時は「今日はその隣のお宅を」とか「ぜんぜん別の現場で」とか、そんな感じで。 そうやっていろんな場所で作業をしていく中、あるTシャツ工場の存在が明らかになりまして。そこはアーティスト系、いわゆるバンドやミュージシャンのTシャツや布製品のグッズを作ってるところで、工場の都合もあるから詳しくは書けないんだけど、日本人なら誰でも知ってるような有名アーティスト、あるいは俺みたいな人間なら確実に知ってるバンド、そういうTシャツが山ほどある。でも、そういうTシャツが9月の台風18号、鬼怒川の決壊被害で「ほとんど水没」してしまい、約10万枚のものTシャツが被害に遭った。 皆さん、10万枚ですよ、10万枚。言うなれば、それだけの数の「商品」が浸水によって水没した。中にはプリントがズレたりして商品にならないものも含まれてるんだけど、多くは商品となるもの。もう、初めて行った時は愕然としました。俺たちがライブやコンサートやフェスに行った時、悩みながら買ったり迷わず買ったり、ワクワクして買ったりするようなTシャツが泥まみれになってるんです。ビショ濡れになってるんです。買うものが、着るものが、単に「ズブ濡れの布」になってしまってるんです。たとえばコレ。紫とか、そんな色のTシャツに見えると思うけど、なにを隠そう「黒」。黒いボディのTシャツ。写真を見て左側の脇部分に黒い模様みたいなものがあるのが見えるでしょう。じつはそこが「元の色」。つまり黒い部分。川の水に多くの下水なんかが混ざり、その汚水で濡れてしまったから、こんな感じで色が落ちてしまってるんです。 もちろんここまで来ると商品にならない。ただの「ゴミ」。でも、その「ゴミと化したTシャツ」を廃棄するだけで、数100万円という莫大な費用が必要になる。何万枚という商品がゴミになり、それを捨てるのに数100万円かかる。この工場が受けるダメージは計り知れません。
そこで仲間たちや有志が立ち上がった。説明不要のモンスターバンド「ブラフマン」と共に「幡ヶ谷再生大学・復興再生部」が動き、俺が所属する「セイブ・ザ・ヒロシマ」もバックアップ態勢を整え、被害の少ない、あるいは洗濯すれば綺麗になる無地のTシャツを買い取って「再生」させて販売しようと。その利益を義援金にしようと。名付けて。 ──『Tシャツ再生大作戦』 この活動については10月24日の朝日新聞・全国版にも取り上げられ(現地で取材を受けました)、翌日の25日に宮城県で開催された「東北JAM」で早くも第一弾をリリース。約100枚を販売し、完売。NAMBA69の難波さんはそのTシャツを着てライブをやってくれた。それ以外にも多くのミュージシャンが協力、賛同してくれている。 現在、工場では被害を免れた、あるいは最小限の被害で済んだTシャツを1枚1枚ボランティアの人たちが選別。匂いや汚れのあるものは洗濯して再生。次の活動に向けてボディを揃えているところ。地元のクリーニング屋さんが協力してくれたりもして、徐々に作業の効率が良くなってきてる。でも、まだまだこれから。とにかく1枚でも多くのTシャツを再生させてリユースし、工場の負担を減らさないといけない。俺も自分のブランドがあって、山ほどTシャツを作ってきた。こういう工場や業者が作ってくれたからこそ、俺はそれを売ることができる。業者は違えど業種は同じ。放っとけるわけが無い。
というわけで、皆さん。これからこの『Tシャツ再生大作戦』は様々な場所で動きを見せると思います。幡ヶ谷再生大学・復興再生部、そしてセイブ・ザ・ヒロシマ、さらに俺。それぞれツイッターなどで発信を続けていくので、どうか関心を持っていただき、できれば協力してほしいです。協力は購入でも発信の拡散でも、なんでもオッケー。宜しくお願いします。 https://twitter.com/sth_20140826 最後の最後で告知みたいになったけど、この告知は「復興」に繋がる告知。遠慮なく書かせてもらいました。現在、ボランティアの数が圧倒的に少なく復旧が大幅に遅れている被災地。困ってる人がいるんだから、手を差し伸べないとね。俺はまだ6回しか作業に行けてないけど、まだまだ行きます。時間を作って、あの工場に。
以上、3ヶ月に渡ってお届けしたマッパチの交換日記。ラストのガル憎でした。 押忍!
2015/10/26
まいど。アニかつでございます。
8月から週イチ更新でお届けしてきた本コラムですが、な…なんと!! 今週がラストとなります。
不人気だから打ち切り? いえいえ、けしてそういうわけではありません。
実は最初っから、期間限定ってことだったんですよね。
とにもかくにも、3ヶ月間のご愛読、ありがとうございました。
それでは、ラスト一曲、スタート!!
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拝啓 ガルヲくん
ライターとしての、こだわりやポリシー。
自分からネタを投げといて、「じゃあ、おれにはどんなこだわりがあるんだ?」と自問してみると、たしかに簡単には答えられないね。
パチスロ必勝ガイドのライターを始めて、来年の春で23年になるんだけど。これだけ長く続けてりゃ、時代の移り変わりとともに、こだわりのポイントというのも多少は変化するよね、やっぱり。
駆け出しの頃は、とにかくがむしゃらに必死だったから。こだわりとかポリシーとかいうてる余裕なんてなかったんだけどね。ひとつあるとすれば、「必勝ガイドらしい文章を書く」ってことを心掛けてたことかな。先輩ライターの文章を参考にしつつ、自分なりのエッセンスを加えたり…ね。
自分は高校も途中でドロップアウトして、文章を書くための専門的な勉強も特にしてこなかったし、そもそもライターになろうとしてなったわけでもなかったんだけど。元々、作文とか日記とか書くのが好きだったし、そういう意味では、ぜんぜん苦労とは感じなかったね、最初の頃は。とにかく、文章を書くのが楽しくて仕方がなかった。「大好きなガイドに自分の書いた文章が載る」ってだけでね。誇りもあったし。
無記名の機種モノページなんかだと、その機種に関する必要な情報を分かりやすく読者に伝えなきゃならないから、どちらかといえばニュートラルな文章を求められるんだけど、その上でいかに個性を出すかがカギとなるね。
重要となるのは、導入の最初の一文。いわゆる、「枕」ってやつ。最後まで読んでもらうには、ここで読み手の心をがっつりと鷲掴みにしないといけないから、力が入る。力が入りすぎて、書けない時はほんと書けなかったりしたな。書いては消して、また書いては消して…と。枕だけでひと晩かかったりとか、よくあった。
一方、記名式のコラムなんかだと、これはもう自分の言葉を綴ってりゃいいから、一見すれば自由な感じもするんだけど、自由ほど不自由なものはないんじゃないかな…と。だって、書いたもの全てが自分自身の責任になるわけだからね。名も無きライターとして機種モノ記事を量産してた頃の方が、ある意味、気楽だったような気がするな。枕以外は、ある程度のフォーマットが出来上がってたからね、自分の中で。
ガルがいう「見た目」、つまり本になった時の仕上がりね。これには、自分もすごく気遣う。
ふつう、ライターは文章を綴ればよいわけで、ワープロソフトを使うのが一般的なんだけど。ガイドの文章って、文字の「詰め」が強く入るから、ワープロソフトで書くと、仕上がりがぜんぜん違うものになったりするんだよね。特にカギ括弧や読点・句読点といった、いわゆる「約物」を多用すると、ぎゅーっと文字が詰まっちゃって、最悪の場合、次の1行が余っちゃったりしてね。
そういうのを避けるために、自分もガルも、グラフィックソフトを使い、ページレイアウト上に直接、文章を打ち込んでるんだよね。この方法、たぶん自分が最初に始めたんだと思うけど、他のライターさんに言うたら、「そんな面倒なことしてるんですか」と、たいがい驚かれる。いや、ぜんぜん面倒じゃないし。むしろ、合理的な方法だし。まぁ、この連載はウェブ用だから、動作の軽いテキストエディターで書いてるんだけど。
ちなみに、「ニイサンは飲んで書きますよね」ってことについて。確かに、一時期は飲みながら書いてたこともあったな。まぁ、勢いをつけるためのガソリンというか、なんというか。あと、文章を綴る仕事ってのは、孤独な作業でもあるわけじゃない。その孤独を紛らわせるために…ってのもあったな。
でも、いまは書く時は原則、飲まない。歳を喰って、体力的にしんどいというのもあるし、やっぱよくないよ。仕事なんだから。前は、しんと静まりかえった夜中に書くことが多かったけど、夜だとどうしても、飲みたくなってしまう。だから、いまは昼間に書くようにしているね。飲むのは、仕事をしっかり片付けてから。その方が、健全だし、美味しいもん。やっぱり。
そんな感じで、今週のニイサン最終回は、この辺にしときましょうかね。それではガルヲくん、ラストの更新、よろしく頼みます。
2015/10/22
押忍。
ニイサンが「うがい&手洗い徹底しましょうね」と書いてますね。
そんなタイミングでやっちゃいましたね俺。
風邪からのウイルス性腸炎。
参りました。
腸炎だなと思ってからメシを絶ち自らポカリにシフトチェンジ、
下痢止めも痛み止めもヤメて「水分を鬼のように摂って菌を出す」作戦に出たのですが、
ダメなんですって。
胃腸障害の時ってポカリ飲んだらダメなんですって。
うどんなど消化のいいものをとか言うけど、
ダメなんですって。
小麦粉は消化が悪いから小麦粉類の食べ物ダメなんですって。
知りませんでしたよ。
でも覚えたので本題に入ります。
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拝啓 長兄
ライターとしてのこだわりやポリシー。
ん~~~。
ものっそい深いところ突いてきましたね~。
細かいことを言い始めると絶対に1回じゃ終わらないというか、むしろ連載にしてもらわないと困るレベルになっちゃいますけど、ふと思ったのは『ジャグラー』。
こんな感じで機種名を書く時の鉤括弧(カギカッコ)ですかね。
たとえば以下のような文章があったとしましょう。
北電子の『ジャグラー』と言えばやはり「告知機能」。
鉤括弧が違うの分かります?
機種名の方が二重鉤括弧で次が普通の鉤括弧になってるんだけど、これをやり始めたの、じつは俺なんです。機種ページを書いてる時、その機種を強調するために使い始めたら、いつの間にかガイドでスタンダードになってた。え~と、それだけです。
違うか?
そういうのじゃないのか?
う~ん。
振り返って考えると原稿を書く時はまず酒を飲まないですね。
というか飲んだ状態から書かない。飲んでる時って勝手に具合が良くなってるんで、書いてて「いいねえ!」とか思っちゃう。でも翌日になって改めて読むと「なんじゃコレ?」。恥ずかしくなる。書き直す。二度手間になるのがメッチャ悔しい。だから飲んでる時は、ほぼ書きません。
慣れてる原稿なんかは飲んで帰ってサクッと書いちゃう場合はありますが(ごく稀に)、でも、書いてすぐ編集部に送ったりはしませんね。やはり翌日にチェックしないとアレなんで。送ったあと「なんちゅー原稿を送ったんだ!」と耳を赤くしたくないんで。
でも。ニイサンは飲んで書きますよね。逆に羨ましいです。その方がペースが上がるんでしょうか。こういうのは人それぞれなんで面白いところではありますが。俺は酔ってると、文章、もっと言えば歌詞。良くないですね~。
あと、気にするのは「見た目」ですね。たとえば段落が変わる。1画スペースを空けて次の段落に入る。たとえばその1行目の隣に写真とかあるともうダメなんですよ。段落が変わる。1画スペースを空けて次の段落に入る。1行。すぐ写真。文章は下の段へ。これがもう許せなくて。だったら前の段落を1行増やして、ピッタリ終わらせた横に写真が来るようにする。
俺は文章を「文字」として見てなくて、ページの一部、デザインの一部だと思ってるんです(書いてる段階では文字ですが)。なのでそういうアンバランスというか違和感があるような形になってると、我慢できません。細かいことを説明すると長くなるので割愛しますが、要するに、ページ内で文章がどうなってるか。どこにあるか。そのあたりは気にしますね。
それ以外だと、ガイドならガイドを読んで面白い記事があれば、いや、記事じゃなくても、あるひと言でも、面白い言い回しだなとか思ったらすぐ編集部に電話して「これ誰が書いたの?」と聞きます。でもそれはライバル心とかじゃなく、純粋に誰が書いたか気になる。んで、それが後輩なら「成長したな~」だし、近いキャリアなら「さすがだな~」となる。なので、各ライターの好きな文章、好きなひと言、好きな言い回し。俺の中にはあります。言いませんけど(言えよ!)。
う~ん。
こんな感じでしょうか?
深いとこまで行くと延々と書いてしまいそうなので今日は少し軽め、この辺りで。
軽めでいいんで、ニイサンのもお願いしますね。
2015/10/19
まいど。アニかつでございます。 日ごと朝夕の冷え込み度が増し、秋深まりゆく今日この頃ですね。 ノロやインフルエンザへの注意喚起も聞かれるようになりました。 皆さんも、ホールから帰ってきたら、うがい&手洗い、徹底しましょうね。 さて今回は、先週ガル憎くんに訊いた「マッパチ旅の思い出」について、つらつらっと綴りましょうかね。 では、スタート。 ------------------------------------------------------------ 拝啓 ガルヲくん 全国47都道府県、完全制覇。確かに、考えてみればすごいことだね。 中には、複数回行ってるところもあるし、ひとつひとつの旅にそれぞれ、思い出やエピソードがある。 ひとつひとつ挙げだしたら、それこそ、まぁまぁ分厚い本が出来上がっちゃう。 どこかの出版社さん、出させてくれませんかね。「完全制覇~マッパチ回胴旅の軌跡~」ってな本を…。 余談はさておき。印象深いツアーね。う~ん……まず、1996年の最初の関西ツアー。 自分の地元ってことで、気合い満点で臨んだんだけど。初日はいきなりガセネタに振り回されるは、2日目は定休日の連チャンを喰らって半日を移動に費やされるは、妥協して入った某チェーン系お好み焼き屋はぜんぜん美味しくなかったは、もう散々だったね。 そんなこともあって、1998年の2回目の関西ツアーの時は、実家への里帰りを兼ねて一足先に現地入りし、当時普及し始めたばかりのインターネットを駆使し、地元の若いスロッターたちと接触して活きのいい情報を仕入れ、万全のお膳立てで臨んだ。結果、まぁまぁ充実したものになったのではと自負しとりますが。 あの時に知り合ったスロッター軍団「チームかんなみ」のみんな、どうしてるんだろうな。初日、案内役兼ドライバーとして、あちこち連れて行ってくれた「す~さん」、元気かなぁ。 そんな感じで、旅先で色んな人とも、出会ったよね。そういう意味で、いちばん印象に残ってるのは、やっぱ1997年の九州ツアーじゃないかな。…そうそう。親不孝通りで逆ナンされたというエピソードのある旅ね。 初日、絶滅危惧種のハイアップターボを打ちに向かった、北九州は八幡の「西門会館」。そこの社長さんが、すばらしかった。 最初、取材の申し出をしたら、えらい仏頂面で。追い返されると思ったら、喫茶店に連れて行かれて、いきなり興味深い昔話のオンパレード。で、打ち終わったあとも、「メシでも行こうか」って近くの料亭に連れてってくれて、再び貴重な昔話を披露してくれた。 でも、ただ「昔はよかった」で始終するんじゃなくて、「いまのパチンコは大衆娯楽じゃない」と、業界の現状に対する持論も展開してくださった。もう感激して、せっかくの豪勢な料理も、ぜんぜん箸が進まなかったのを覚えてる。 ぜひ、もう一度、お会いしたいんだけどね。でも、当時でもうすでに70歳を越えてらっしゃったし、ご存命してるかどうかも…ね。とっくの昔のお店も潰れちゃったし、いまとなっては調べる術もない。ほんのり、本気で探偵ナイトスクープに依頼を出そうかな…なんてね。 あと、別の意味で強く印象に残ってるといえば…まぁ、沖縄に関しては前回、話したから割愛するとして、やっぱ1999年の北海道かな。 初日の夜、情報提供に協力してくれた地元のスロッター軍団と親睦会を開いて、そこで札幌パチスロブラザーズ、略して「サッパチ」なるコンビと意気投合したんだけど。ほんと、いろんなところへ案内してくれたよね。ススキノとか、ススキノとか、あるいはススキノとか…。 現地の名物料理に舌鼓を打ち、夜の街で楽しく美味しいお酒を呑む…というのが、旅の醍醐味だったりするんだけど、あの時はほんと、強烈だったよね。強烈すぎる夜だった。 とにかく。旅先での夜のエピソードも、ほんと挙げたらキリがないね。ここでは書けないことばかりだったりするんでやめとくけど。とりあえず、2003年の青森ツアーで、むつ市のロシアンなお店で金髪の女の子と散々戯れたあと店員さんに「いつも読んでます」と告げられた時は、ちと恥ずかしかったなぁ。 旅の思い出については、これくらいにして…と。次回のテーマです。 我々の本業は、文章を書いて糧を得る「ライター」なわけですが、ガルヲくん的なライターとしてのこだわりというかポリシーみたいなものを、あらためて話してください。 ではではー!!
2015/10/15
押忍。
ガル憎でございます。
これが更新されるころCSは終わってるんでしょうか?
カープは4位で終了。
みんな「残念でしたね」とか言いますが、
俺の中では優勝しなかった時点でどうでもいいです。
戦後70年。
広島土砂災害から1年。
黒田復帰。
新井復帰。
東出引退。
栗原退団。
これで優勝しないんだからダメですよ。
絶対に優勝しなきゃいけない年だったんですよ。
応援してる人もいるんでシーズン中は黙ってましたが、
個人的には3位とかCSとか眼中にナシ。
あくまでリーグ制覇。
これをしなきゃ意味が無かったので「ザマあ見ろ」です。
坊主にしてやり直せ!
って感じですね。
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拝啓 長兄。
マッパチで思い出に残ってる旅(ツアー先)。
考えても考えても絞りきれないんですが、
まず挙げるなら広島ですかね。
仕事・・・つまり経費・・・つまり人のお金で地方に行けるようになった。
そんな中で広島。
言ってみれば「生まれて初めてタダで故郷に行った」ワケですから。
感慨深いというか凱旋というか、
なんかこう「俺は仕事で広島に帰られる(行ける)ようになったぞ!」という嬉しさがありましたね。
あとは博多。
やっぱメシが上手いし楽しい。
空港と博多駅が隣接してるという街の便利さもいい。
親不孝通りで逆ナンされたのも良かった。
あ。
この話はこれくらいにしときましょう。
とりあえず旅打ちに関しては「あそこに行こう」だの「次はここ」だの言ってる間は割と普通の感覚でした。
行きたいところにどんどん行く感じで。
んで。
途中から「全国制覇」を目標に変えたじゃないですか。
これまで行ってない場所に行こうと。
広島だの大阪だの博多だの北海道だの沖縄だの、
いわゆる「主要地域」にどんどん行ってしまっていたから、
言い方は悪いけど残っているのは・・・。
なんというかこう・・・派手さに欠けるというかナイトスポットに乏しいというか、
パーッと遊べるような「都会」が皆無だった。
でも。
でもですよ。
そういう場所を回って全国制覇を成し遂げた時。
俺はそれがいちばん嬉しかったですかね。
だって普通に生きてて47都道府県すべて行くなんて滅多に無いですもん。
有名なバンドだって全国を飛び回ってる連れのカメラマンだって、
年中あちこちに仕事で行ってる人ですら意外と全国制覇をしてる人は少なくて。
そういう意味では本当に感謝してます。
大げさに言うと「本来は味わえなかった人生をありがとう」。
そんな感覚だったりもします。
知らない土地のワクワク感。
どんな店なんだろうというドキドキ感。
本当に楽しかった。
いまは全国どこに行っても同じで個性が無いからアレですが、
また旅打ちとかしてみたいですね。
追伸。
本当はラスベガスとかも行きたかったです。
行きたかったですがラスベガスに行く前にマッパチの全盛期が過ぎてしまいました。
人気絶頂の時にプレゼンしてみるべきだったと激しく後悔しております。
南無三。
2015/10/12
まいど。アニかつでございます。 終わりましたね、プロ野球レギュラーシーズン。 奇しくも最後の最後まで阪神と広島が僅差で争い、そして……。 結果的に、我が阪神が首の皮一枚で3位を死守しCS進出を果たしたんですが。 なんか、手放しで喜べないんですよね。今年は。 まぁ、そんなことはさておき。 今週は私的な「沖縄」の思い出話なんぞを。 では、スタート。 ------------------------------------------------------------ 拝啓 ガルヲくん 寝ちゃったね。がっつり寝落ちしちゃいましたね、カメラの前で。 オンエアのVでは、うまく笑いに持って行くよう編集してくれてたけど。 まったく、お恥ずかしい限り。プロとして失格ですわ、ほんとに…。 さてさて。マッパチで初めて沖縄へ行ったのは、もうかれこれ15年近くも前、2001年の1月のことでしたな。 せっかくの沖縄。せっかくの南国トロピカルアイランド。「なんで夏じゃなくて、真冬な1月やねん!?」って話だけど、なんでだったのかな。まぁ、オフシーズンで安かったのかもね。 沖縄といえば、かつては大型のアップライト型機の独壇場だったんだけど、1994年秋の91バト特別編で行った直後に規制がかかって、本土との同化政策により箱型機への入替が進み、アップライト型機はほぼ一掃それちゃった。 しかし、奇跡的にごくごく少数が、まだ生き残ってた。でも、いつ無くなるかわからない。無くなってからでは、もう遅い。…というわけで、沖縄へ飛んだんだよね、たしか。沖縄市のコザ交差点にあった伝説の名店、「コザゲームセンター」。知らないひとには廃屋にしか見えないけど、我々にとっては神々しすぎる店構え。シビレましたな。ちなみに写真は、2004年6月に再訪したものです。
店に入ると、絶滅危惧種なアップライト型機「トロピカーナ7S」がドーンと鎮座。タイムスリップしたようなムードに、言葉を失いましたなぁ。これも同じく、2004年再訪時の写真。 ちなみに、全盛期の頃の「マシン」は、どこの店でも自前のボーナス告知システムを入れてて、このトロピも例外なく、ボーナスフラグが立つと台上のパトライトが回る仕組みになってたんだけど。例に規制のからみで、パト告知は廃止されちゃった。 でも、沖縄スロットは、告知ありきだから。何かしらの告知機能が「特装」されてた。このトロピの場合、「遅れ」がボーナス告知サインになってたね。それも、めっちゃくちゃ遅れる。レバーを引いて、2~3秒してからリールが回りだすって…もはや遅れというより、フリーズといった方が正しいかも。まぁ、それくらい明確じゃないと、沖縄ではウケないんだよね。 結局、このコザゲームセンター、ご主人さんが体調を崩され、しばらく娘さんが引き継いでたんだけど、2006年のみなし機撤去もあって、惜しまれつつ閉店。時代の流れとはいえ、残念だよね。 …で。マッパチのツアーでもう一件、沖縄スロットの歴史を伝える場所に行きましたな。
宜野湾にあるホールの倉庫に保管されている、歴代の「マシン」の数々。ふだんは非公開なんだけど、ある旧台愛好家の方の紹介で取材されてもらえた。残念ながらどのマシンも静態保存で動かすことはできなかったんだけど、素晴らしい体験だったよね。 その後、2010年と2011年には、近代沖縄スロットの定番、トリプルクラウンシリーズの実戦取材で沖縄へ行ったね。 いまの沖縄は、トリクラとハナハナの二大勢力がホールを席巻してるんだけど、ハナハナは本土でもフツーに打てるし、やっぱ沖縄で打つなら、「バット&ボール」かな。ハナハナもトリクラも、「叩いて光ればオッケー」なことには変わらないんだけど…なんなんだろ。なんか、違うんだよね。 ところで。キャバクラの女の子と云々って話。おれ、ぜんぜん記憶にないなぁ。そんなこと、あったっけな? 確かにキャバクラには行ったし、泡盛をしこたま飲んでノリノリになったりしたけど、う~ん……。 …ってか、沖縄といえば、やっぱ真栄原新町社交飲食街でしょ。諸般の事情により、ここでは多くは語らないけど、風情ある素敵な街だったな。でも、何年か前に環境浄化だかなんかで、惜しまれつつ幕を閉じちゃったんだよね。 あと、松山とか波の上とかも、色々と……おっとっと。話が違う方向にどんどん拡がっていきそうなので、今週はこの辺にしておきます。 とにかく。沖縄に関する思い出は山ほどあるんだけど、ガルヲくん的に、いままでマッパチで行った地方で、どこが印象深く記憶に残ってますか? まぁ、全国を旅してきたから、ひとつひとつ思い出すのは大変だろうけど、ふと浮かんだことでも。 ではでは。
2015/10/08
押忍。
ガル憎でございます。
少し前の話にはなってしまうんだけど、
ヤクルト優勝おめでとう!
なんだろうね。
カープが優勝しなかったのは悔しいけど、
いや。
悔しいというよりは恥ずかしいんだけど、
一方でヤクルトの優勝を心から喜ぶ自分がいるんだよね。
どうして?
しばらく考えて分かりました。
巨人じゃないからです。
中日なら?
横浜なら?
考えてたら「巨人なら?」のとこで「アカーン!」となりました。
どうやらそういうことだったみたいです。
山田哲人と堂林翔太。
1対1のトレードとか無理かな~。
無理ですね。
本題に入りましょう。
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拝啓 長兄
沖縄!
いきなり来ましたね。
ここ最近で言えば「キュインマニアレジェンドボックス」で行き、
ポーカー岩間の疑惑のホームラン判定でウエノミツアキ先輩から罰ゲームを受ける。
数年前で言えば北関東での地上波番組「スロット魂」で行き、
収録中にニイサンが寝て周囲の人が俺に助け&事態の収拾を求めて来る、
そのあたりが印象的ですが、
やっぱり「聖地」。
パチスロが産まれた場所なんで思い入れはあります。
あ!
思い出した!
あれは22年くらい前になるんでしょうか?
俺がガイドライターになる直前に、
ガイドのバトで「特別編で沖縄に行きます!」&「自費で良ければ読者参加もオッケー!」みたいなのがありましたよね?
あれに行けなかったことを現在でも後悔してます。
もう少しガイドに早く入ってれば行けたかもしれないし、
蓄えがあれば読者参加という形で行けたかもしれないし、
でも結局は行けてないからめっちゃ悔しい。
しかも現在とは違って当時はまだ「沖縄ならでは」な機種が多かった。
アップライト型の巨大筐体と独自のゲーム性。
まさに「沖縄仕様」な当時のパチスロを打てなかったことが本当に残念です。
行きたかったけど行けなかったという思いが、
沖縄バトルのページを見る度に思い出されて悔しくなってきます。
でも。
なんだかんだ仕事で何度も行かせてもらって、
その時その時の「沖スロ」を味わってるから幸せだなとは思いますよ。
郷に入りては郷に従え。
向こうだと普段から打ってる機種よりも「バット」。
すなわちトリプルクラウンシリーズとか打ちなくなりますし、
なんというか素直にパチスロを楽しめる場所のような感じがします。
あとは・・・。
キャバクラに行ってお店の女の子と意気投合して「明日は朝から泳ぎに行くんだけど」って話になって、
なんだかんだその子も泳ぎに来たことがありましたね~。
長兄の名誉のために補足しておくと「完全に俺の単独行動」ではありましたが。
でもやっぱり海ですから。
野郎だけでいるより女の子がいた方がね。
あれ?
なんだこの話?
続けても自分になんの得も無いような気がしてきました。
それではスタジオにお返しします。
ふう。
危ない危ない。
2015/10/05
まいど。アニかつでございます。
あっという間に9月も過ぎ、10月になりました。
季節はすっかり、秋。涼しくなり過ごしやすくなったのはいいんですが、いまになって酷暑に受けたダメージがじんわり効いてきている感じです、はい。
まぁ、食欲の秋ってことで。旨いもん食べてスタミナつけて、頑張りますわ。
では、今週もさっそく、スタート!!
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拝啓 ガルヲくん
人生観が変わった瞬間…か。うむ、なかなかのテーマだね。
まぁ、基本的には昔も今もマイペースで、世の流行り廃りとか周りにいる人たちや周りで起こった出来事などがきっかけで、生き方が激変するってことは、ほとんどなかったんだけど。人生の転機みたいなものは、大小様々、あったりするね。
我が半世紀におよぶ人生の中で、まず最初に訪れた大きな出来事といえば、父の死かな。
中学に上がって、最初の中間テストの前日。突然、父が逝っちゃってね。数年前から慢性の腎不全を患ってて、人工透析の最中に容態が急変して…というのが担当医の話なんだけど。いま考えたら、医療事故だったんじゃないかなと思ってみたりもしてね。
父は秋田の山村に生まれ、16歳で家を飛び出し左官職人になり、18歳で尼崎にやってきて母と出会い、結果、自分が生まれたんだけど。職人気質の厳しい人でね。
そりゃ、自分は最初の子だから、ずいぶんと可愛がられたけど、悪さとかしたら、同じくらい…いやそれ以上に厳しく、怒られた。
でも、面倒な病気に罹って仕事も出来なくなって、元来の厳しさというか…「お父ちゃんらしさ」っていうのかな。そういうのが失せて、弱々しくなって。それが、すごく寂しかった。
そんな矢先の、突然の死。そりゃ、最初に訃報を聞いた時は、母と、弟と、妹と、泣きまくった。でも、ひとしきり泣いたあとに、ふと気持ちが切り替わった。
「ひとは、いつか死ぬ。必ず、死ぬ。生きている以上、死は免れないんだ」
12歳にして、そんな風に死生観みたいなものを、悟ってしまったんだな。
お葬式の時も、火葬場でお骨を拾う時も、涙はでなかった。感情がフラットというか、「無」になっていたような気がする。
以来、「人にはそれぞれ寿命があるから死は仕方がない」という考えが、常に頭の片隅に居続けてたんだけど、さすがに母の時は、辛かったね。
父の時は12歳、母の時は39歳だったか。そりゃあ、四半世紀も経過してりゃ、人生、色んなことも経験して、感情の質もずいぶんと変化しただろうから。
最初に癌宣告を受けてから2年で逝っちゃったんだけど、存命の頃から「これは神が定めた寿命。仕方のないことなんだ」と自分を納得させようとする一方で、「若い頃から病気ひとつしたことのない元気だったお母さんが、なんで…神は無慈悲だ!!」というやり切れない気持ちでいっぱいだった。
葬式の時はね、葬式ハイっていうのかな。そもそも喪主という大役を果たさなきゃならんかったから、悲しみに暮れている暇はなかった。でも、火葬を終え骨と灰に変わり果てた母を見た瞬間、膝から崩れ落ちたね。テレビの悲しいニュースとかでよく見るアレ。ほんとに、膝から全身の力が抜けて、泣き崩れるの。自分でもびっくりしたね。
ちょっと話は脱線してきちゃったんだけど。とにかく自分は、「生かされる」感じがして、ならないんだよね。
うまくは言えないんだけど、自分を生かすために、父や母や、その他、自分の近しいひとたちが、天に召されてしまったんじゃないかなと。
だから、もっと真剣に、大切に、一日一日を過ごしていかなきゃいけないんだけどね。結局のところ、「結果オーライ。なんとかなるさ」なスタンスは、ちっとも変わっちゃくれない。「いつか、こんな自分を変えなきゃいけない」と思いつつも…ね。
まぁ、この歳になると、色々と考えちゃうなぁ。あちこち、衰えてきてるし。いまどきの60代とか70代とかって、元気やん? 果たして自分は十年二十年後、彼らのように快活なシルバーライフを謳歌できてるんだろうか。…いや、まったく想像がつかない。
そんなことを考え始めると気が重くなるから、とにかくいますべきことを考え、いますべきことに邁進するようにしている、今日この頃です。
うーん、何を訴えたいのか自分でもわからなくなってきたから、この辺にして。久々に、ニイサンからテーマを投げましょうか。
唐突だけど、沖縄。いきなりだけど、オキナワ。
我が国屈指のリゾート地であるとともに、回胴式遊技機生誕の地として知られる南洋のトロピカルアイランドについて、あれこれ語っていただこうかな。
マッパチでも度々、訪れたことがあるから、その時の思い出とかでもいいし、回胴以外の話でもいいねー。
ガルヲくん的な沖話、存分に。
ではでは、ハイさー!!
2015/10/01
押忍。
ガル憎でございます。
国勢調査が終わりました。
てか。
いつも思うんですけどね。
なんか「国勢」ってスゴい言葉じゃないですか?
国の勢いと書いて国勢。
毎回これが行われる時期になると少し笑っちゃうんです。
いま日本の勢いはどれくらいだ!
よ~し調べるぞ!
という調査が始まるような気がして。
質問事項に「テンション高めですか?」とか「気合いが入りやすいタイプですか?」とか「草食系ですか?」とか書いてありそうで。
それによって「国勢」を決めてそうで。
日本の国勢70%!
なかなか勢いがあります!
みたいな。
はい。
違いますね。
本題に入りましょう。
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拝啓 長兄
まあ、そうなんですよね。
パチスロライターが「なに」を「どこ」まで発信するか。
自分の性格もあるんでしょうが「職業病」もあるんですかね?
なんかこう「伝えなきゃ」って気になるんですよ。
別に新聞記者でもないし週刊誌のライターでもないんだけど、
ボランティアに行けば目の前の状況を伝えたくなる。
俺じゃなくても誰かがやる。
そう思ってもやっぱり伝えたくなるんですよね。
もしかすると「パチ&スロ業界だから」ってのもあるのかもしれません。
発信する人が少ないじゃないですか。
それは発信しないことが悪いって言ってるんじゃなくて、
伝える人が少ないっていうか、
純粋に「パチ&スロ業界」だから「絶対に伝えなきゃいけない」ってことじゃない。
そういうのもあるから「ならば俺が!」となってる可能性もあります。
ただ。
伝えるにせよ伝えないにせよ「ボランティア」。
ここを読んでくれてる皆さんには是非とも行ってほしい。
大半の人が「人生観」変わると思うんですよ。
別に人生観を変えるために行くものではないんだけど、
俺はしっかり変わりました。
たとえばね。
夏を前に広島の復旧作業をした時に毎日毎日、
同じ畑の再生作業をしてたんです。
ツルハシで堅い地面を掘り起こしてスコップですくって、
編み目になってる「ふるい」にその土を乗せ、
ゴム手袋をした手でガサガサ。
すると編み目より小さな土が下に落ちて網に残った小石はまとめて捨てる。
それを畑一面すべてやる。
ひたすら繰り返す。
そうすると土が軟らかくなり小石が無くなった「畑の一歩手前」が完成。
ここから耕耘機を入れて畑を完全に再生させる。
あとは作物を育てる。
で。
俺はその耕耘機が入る前に東京に戻りましてね。
数日後に活動報告で「今日ついに耕耘機が入りました!」という写真が公開されてたんです。
俺。
泣きました。
何日も何日もひたすら同じ作業を繰り返したあの場所についに耕耘機が入った!
うおおおおおおおお!
畑まであと少し!
と。
そこでふと気づいたんです。
あれ?
畑に耕耘機が入ってる写真を見て泣くとか初めてじゃね?
そんなことが将来あると思ってた?
思ってないし!
と。
まさにそういう意味で人生観が変わったんですよね。
畑とか目が行っちゃいますもん。
いままでガン無視だったのに畑があるとつい見たりしますもん。
なかなかなキャベツだな~。
土がいいんだろうな~。
40歳をこえてそんなこと思うようになってるんですから。
もちろん。
ボランティアをやった人が全員「畑を見るようになる」ワケは無い。
でも。
いままで見えなかったものが見えたり気づかなかったことに気づけたりするのは確か。
ライターでパチスロ。
思い切り「インドア」な俺が正反対の「アウトドア」をやるってのもあって、
特に普段とは違う経験ができますしね。
ちなみに。
ニイサンは「人生観が変わった瞬間」ってあります?
大掛かりなものじゃなくていいんで。
なにかをした時にふと違う光景が見えたとか人生観が変わった感じがしたとか。
面白い話でもマジメな話でも。
たとえば「あれから変わったよな~」みたいな感じのヤツ。
もしあればお聞かせください。
よろし押忍!
2015/09/28
まいど。アニかつでございます。
今週は、真面目な弟からの悩みにも似た問いに対し、ぐうたらな兄としての私感を、つらつらっと綴りたいと思います。
では、さっそくスタート。
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拝啓 ガルシロウくん
パチスロライターは、「なに」を「どこ」まで発信すればよいか。
…うん。確かに、難しいテーマだ。考え始めると、簡単には結論は出せないな。
ただ、今回の一連のきみの行動、すなわち災害ボランティアに関しては、自分が間違っていないと思うのなら、余計なことを考えず、情報を発信すればいいと思う。
そりゃあ、中にはいるだろうよ。パチスロ以外のことを書くと、「パチスロライターのくせに云々」と思う人も。
「パチスロライターは、パチスロに関する情報だけを提供してくれればいい。パチスロに関係のない情報は要らない」…と。
でも、パチスロに関する情報、たとえば機種の仕様や解析値とかね。そういうのは、ガイドなどの情報誌の機種モノページや、いまだとインターネットのサイトで読めばわかることだから。
近年、雑誌やネットなどのメディアにライターが露出し、それぞれに相当な人気を得ているじゃない。結局それは、パチスロライターという肩書き以上に、個々の人間性、キャラクター性がウケているに他ならない。
事実、今回の災害ボランティアに関しては、ツイッターでの呼びかけにより、たくさんの支援物資が集まったわけでしょ。
それだけ、日頃からきみの物事に対する真面目な取り組みに共感しているひとがいるということじゃない。
ガル憎は、確かに一介のパチスロライターだ。しかし、その前にひとりの人間である。人として、被災地で困っている人を黙って見過ごすわけにはいかない。だから行動を起こした。ぜんぜん、間違っていない。
そもそも、ここでいうパチスロライターとは、ひとつの肩書きに過ぎないと思うのね。
事実、たとえばテレビをつけてみても、本来の職業や肩書き以外で露出度の高いひとたちって、数え切れないくらい、いるじゃない。
本業の方をおろそかにせず、しっかり全うすれば、本業以外のことに邁進しても、誰も文句はいわないと思うんだけどね。
先述のとおり、「パチスロライターのくせに」とか思うひとは、パチスロライターという職業の片鱗しか見えてないんじゃないかと思うんだ。
まぁ、それは人それぞれ、受け止め方だから。あまり、「おれは名も無きライターとして長い下積みを積んできた」と声を大にするのも…ね。さすがにライターバブルが巻き起こった時は、猫も杓子もライターを名乗る状況に辟易して、自分のキャリアについてつらつらと書いたりしたけど。
とにかく。我々パチスロライターに限らず、メディアに露出し情報を発信している人間に対しては、共感してくれる者もいれば、反感を覚える者もいる。これはもう、仕方のないことなんだ。だから自分は、あまり難しく考えないようにしている。わかってくれる人だけ、わかってくれればいい…と。無責任な言い方かも知れないけど。
繰り返すけど、自分が正しいことをやっていると思うのなら、胸を張ってそれを示せばいい。
パチスロライターという肩書きにより身に付けた発信力は、せっかくだからパチスロ以外の事柄にも、どんどん使えばいいんだ。
今週のニイサンは、以上です。