アニかつ&ガル憎の回胴交換日記

結成から19年を迎えるマッパチのアニマルかつみとガル憎の交換日記!

東西闘論・ガル憎篇 from ガル憎

2015/08/27

記事カテゴリ:from ガル憎
タグ: うどん 餃子 ラーメン マッパチ 

 

押忍。ガル憎で押忍。

 

ニイサンの書いてたとおり広島で復興支援ライブをやって燃え尽きて空っぽになって帰ってきました。

 

お陰で更新が遅れたような気もします。

 

担当編集Hさんが優しい感じで原稿の催促をしてきたんですが、

 

おそらく内心ではブチキレだったと思います。

 

ごめんなさい押忍!

 

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押忍 ニイサン

 

お題は「東京に移住してみて驚いたこと」。これはですね、ハッキリ言ってニイサンと同じなんです。言いたいことも書きたいことも。

 

なので俺からは特にありません。

 

とか書くとここで終わってしまうので俺の具体例を挙げましょう。

 

東京で初めて「うどん」を食べたのは高田馬場。

 

駅のすぐ近くにある「白鳥ゲームセンター(上京したころはスロ専だった)」の横に立ち食いの店があって、上京当時、風邪をひいて体調が悪く食欲も無かったんで「こんな時はうどんに限る」となって食いに行ったのね。もちろんニイサンが書いてるように「黒い醤油ダシ」ということは知らない。うどんは全部、西日本バージョン(昆布&薄口醤油の薄いダシ)だと思ってたから。でも、ここは東京。出てくるのは当然「黒いダシ」のうどん。目の前に出された瞬間、冗談でもなんでもなくフリーズしちゃってね。一瞬、なにが出てきたのか本当に分からなかった。注文を間違えたのかと思った。で、いまでは笑い話なんだけど、店のオヤジに真顔で「すいません。普通のうどんを頼んだんですけど」と。言われた方も言われた方で「は?」。再び俺が「だから、普通のうどんを頼んだんですけど」。イラっとした顔をしながらオヤジが「だからそれがうどんだよ!」。そう言って背中を向けた。

 

俺はうどんを見つめながら、しばらく考えた。なにか珍しいうどんを出す店にでも来たのだろうか。いやいや、立ち食いでそれは無いよな。そんなことを思ってるとサラリーマンがやって来て「うどん」とひと言。これはチャンスだとその行方を見守っていると、俺と同じうどんが出てきて(当たり前)、サラリーマンがツルツルっと軽快に食べて(当たり前)、お金を置いて「ごっそさん」みたいな感じで去って行った(当たり前)。その丼を片付けようとして振り返った店のオヤジがチラリと俺に目をやり、まだ食ってない姿を見て「チッ」と舌打ちをして背を向ける。

 

おい!

 

チッて!

 

いまチッて言うたじゃろうが!

 

と言いたい気持ちをグッと飲み込んで、うどんをすする。ぬあああああ。なんだ。なんだこの味は。やっぱ違うじゃんか。やっぱ普通のうどんじゃないじゃんか。風邪で熱があったから、最初は味覚が麻痺してるのかと本気で思った。でも、それが東京の、関東のうどんだった。ウソみたいな話というか、ウソみたいな感想に思えるかもしれないけど、西日本の人間、そのほぼ全員がこの「洗礼」を浴びているのです。

 

もちろん、ちゃんと理解した現在は大丈夫ですよ。富士そばとか行きますよ。ただ、なにも知らない最初は本当にビビったという話。でも、見た目に反して、じつは関東風の方が塩分が少なかったりするんだよね。黒い=しょっぱい。そういうイメージがあるけど、塩分量は西日本のダシの方が多い。これを知らない人、意外と多いです。

 

あ。別に関東をディスってるワケじゃないですよ。食文化の違いに驚いてるだけです。んで、ニイサンも書いてたように東京は蕎麦文化。このあたりの話を簡単にまとめると、西日本の場合は「うどん屋に蕎麦がある」。そして東日本は「蕎麦屋にうどんがある」。メインとなってるものが違うと。

 

それこそ、ざる蕎麦を食べたのも東京に出てから。この時はダシの色がどうこうじゃなく、普通にテンションが上がった。よくドラマなんかで、それこそ刑事モノのドラマなんかでざる蕎麦を食べるシーンとかあるじゃん。あれに、ちょっとした憧れみたいなものがあったんだよね。なんせ当時の広島には、少なくとも俺の知ってる範囲にはざる蕎麦を食わせる店なんて無かったから。だから食って「刑事みたいだ~」と普通に喜んだ。ミーハーだった。なんか大人になったような気もした。そのお陰か、いまでもざる蕎麦は好きです。

 

長くなったけど勢いついでに書こう。餃子のタレ。これもニイサンと一緒。東京に来て初めて中華料理屋に入った時。あれは忘れもしない渋谷センター街の中華料理屋。チャーハンと餃子を頼んだのね。んで、待ってる間になんとなくテーブルを見ると、醤油、ラー油、酢が置いてある。餃子のタレは言わないと持ってきてくれないのかな?

 

そんな感じで待ってたら餃子が来た。でも、タレは来てない。店員に「すいません。餃子のタレを」と言うのだが、そんな時に限って店員が中国人でね。しかもカタコトの日本語しか話せない人で。普通に日本語が話せれば互いに理解できたんだろうけど、向こうは俺が言ってることが理解できない。俺は向こうが言ってることが理解できない。仕方ないから醤油で食ったもん。餃子、醤油だけで食ったもん。んで、その脇に置いてあるラー油と酢。いまでこそ分かってるけど、当時は分かってない。まずラー油は見た目で分かるよね。でも「ラーメンに足すのかな?」くらいにしか思ってない。醤油も分かる。じゃあ残りの酢。俺はこれを「なに」と思ったでしょう?

 

正解は・・・「レモン水」。

 

ぶははははははははははははっ。なんでだよっっっ。なんでレモン水なんだよっっっ。でも、水にしては透明感が悪いし、他に思い浮かばない。餃子を醤油で食いながら「このレモン水はどの料理にかけるんだろう」とか思いながら食べて店を後にしたことを覚えています。

 

ちなみに俺、いまでも餃子のタレが作れません。自分で作るという関東のルールを理解、郷に入りては郷に従え。その精神があっても作れないんです。いま、今日現在そうなんです。みんなは「適当に入れればいい」って言うし本当にそうなんだろうけど、なんか作れないんです。適当な配合ってのが怖いんです。

 

結局どうするかというと「適当に入れればいいのは分かったから作って」と、一緒にいる人にお願いします。それが後輩であろうと先輩であろうとお願いします。そのクセ、お願いしたものに「醤油が足らないな」とか言って足したりします。サイテーですね。あるいはドイヒーですね。でも、自分で作れる関西の人間にこの話を言うと「気持ちは分かる」。割と理解してくれます。

 

って。

 

うどんと餃子でどんだけ長く書いてんだよ。そんな感じではありますが、俺の大好きなーメン。これに関して言えば広島は「完敗」と言ってもいいんじゃないでしょうか。特に俺が「第二の故郷」である高田馬場は全国屈指と言っても過言ではないラーメン激戦区。美味い店が潰れることだって普通だし、とにかく、いろんな味のラーメン屋があってレベルが高い。

 

広島にもラーメン屋は多いんだけど、やっぱ「選ばないと」いけない。東京みたいに「ラーメン食いたいな」と思って、あの店かな。いや、今日はこの店だな。美味いラーメンの中から胃袋と相談して食いたいものを選ぶ感じ。広島でラーメンを食べる場合は、正直、妥協というか諦めてます。冒険しても失敗することが多いんで、天下一品とか行っちゃいます。ええ。すなわち「逃げのT」です。

 

俺が東京に出てきたのは19才。現在41才。東京生活22年目。そう、俺が愛して止まない、名を挙げて止まない広島。そんな故郷よりも東京にいる歳月の方が長いんですよ。20代のころは「東京がナンボのモンじゃ。広島ナメんなよコラ」って感じで生きてたけど、歳月だけでバッサリ考えるなら、むしろ「東京人」じゃねーかと。まあ、美味しい食べ物もあるし、ラーメンは最高だし、夜遅くまで遊べるし、仲間もたくさんいるし。普通に好きですよ、東京。ただ、ネギは青い方が嬉しい。餃子のタレがあった方が嬉しい。そんな感じですかね。あとは、特に高田馬場が好き。俺の原点ですからね。

 

さて。ここからは「お好み焼き」について、と言いたいところなんだけどヤメときます。終わらないんで。んで、ニイサンに投じる球。なにがいいかなあ。せっかくだからアレだね。普段あまり聞けない、恥ずかしくて言えないことにしましょうかね。

 

そうだ。マッパチバンドにしましょう。マッパチでバンドをやることになったのが15年前の2000年。俺がボーカルを始めたのが2000年。そう、俺はマッパチバンドからボーカリストになったんです。ド素人だったのです。なので、当初の感想とか、メジャーデビューまでしたミュージシャンから見た「ボーカリスト・ガル憎」についてどう思ってるか聞いてみたいです。ズバリ、本音で言ってほしいです(怖いけど)。いい部分も悪い部分も含めて(怖いけど)。ええ、そういう意味ではコレ、ズバリ「直球勝負」だね。思いっきり腕を振ってド真ん中に投げます。豪快なフルスイングをお待ちしております。